2017年2月8日水曜日

稚児行列

 近所の寺が稚児行列をやると張り紙。母親が参加料の7000円を出してやるからでろと言うので、出ることに。  その近所の寺がデイサービスを新しくオープンさせたので、その記念とお披露目を兼ねてやるらしい。…… 当日、近所のガキが30人位集まる程度と思っていたが、参加人数は子供だけで270人。両親と祖父祖母などを合わせると恐らく1000人程度の参加者がいる。とてつもなく面倒な事になったと思ったがもう遅い。  稚児行列というか、その倍も大人がいるので見かけはただの行列だ。行列のコースにはオープンしたデイサービスが組み込まれており、中にはいりそこで坊さんに何か水をデコにつけられるのが最大のメインイベントだ。  ラオポーはこの寺の坊主は頭がいいと舌を巻いている。台湾では建物を新築すると人を大勢呼んで中に入れる。そうすることで建物の気が回り風水的に最高なのだそうだ。この寺の坊さんは1000人以上もの人間を金を払わせて集めたのだ。

2016年10月31日月曜日

不法滞在の処理

 仕事中、母親から着信。在留カードの更新手続きでトラブったに違いない。電話に出ると手続きに必要な書類集めの段階で問題発生だ。  更新申請には、住民票が必要なのだが、すでにラオポーは住民票から削除されているのだ。ラオポーが更新を忘れて三日だが、期限が切れた次の日には住民票から削除される。仕事の早いこって。  私もわからないので、入国管理局に直接聞くように頼み電話を切った。  その後、母が入国管理局に問い合わせた所、在留カードの期限が切れているので不法滞在の状態で更新はできない、しかし救済措置が恐らく出来るので通常必要な書類を揃えて入国管理局に来いと言われた。  結局、救済措置が適用され、罰金4000円を支払い在留カードは即日発行された。通常であれば5年の期限であるはずだったが、また1年の期限のものになった。  私はGoogleのスケジュールに、期限の一ヶ月前に在留カード更新と書き込み、アラートが来るよう設定した。免許証と違いハガキなどだして入国管理局は教えてくれないのだ。まぁ当たり前だが。……

不法滞在

 夜、ぼうっとPCに向かっていると、ラオポーが言った。  「在留カード(ヴィザ)の更新を忘れてて、期限が切れた」  私はえっ!と思わず声を出して、驚いた。ラオポーは私の声に驚いた。そして少し怒りながら、期限が切れても三ヶ月の猶予があるからそんなに焦らなくても大丈夫、前回もそうだったと言った。  ラオポーの勘違いだ。その猶予というのはこういうことだ。更新申請をするとその場では新しい在留カードは発行されない。2~3週間位後に発行される。その発行されるまでの間に期限が切れても、手続き若しくは審査中なので問題ないという事だ。申請忘れても三ヶ月も大丈夫という制度などは決してない。ラオポーは不法滞在状態であるということだ。  私はラオポーにすぐにそのことを説明したが、なかなか信じない。30分位かかってやっと正確な事態を理解させる。  本来であれば、明日にでも私が同行して入国管理局に行き手続きをすべきだろうが、急には仕事を休めないので、母に明日の予定をキャンセルしてもらい同行してもらうことになった。  すぐに在留カードの更新に必要な書類を調べ、申込用紙をダウンロードし記入、明日の準備をした。

2016年9月19日月曜日

2つのパスポート

 ラオポーが息子のシャンと共に台湾に帰国して一ヶ月以上が過ぎた。
 今回の帰国の目的は3つ。シャンを連れての初の里帰り、ラオポーの祖父の葬儀、シャンの台湾のパスポートの取得だ。
 行きは私も同行し、祖父の葬儀に参列し、一週間ほどで帰国した。ラオポーはシャンのパスポート取得のために駆けずり回っている。
 日本側で必要な書類を集め、台北駐大阪経済文化弁事処で書類のやり取りをし、台湾の保健所で母子手帳を発行し、役所、外交部を行ったり来たりして約一ヶ月で台湾のパスポートを取得できる。
 台湾の親戚に台湾のパスポートなんか要らないでしょ?とか聞かれたが、いまとっておかないと将来のシャンの選択肢を奪う結果となってしまう。私はシャンに何かを与えるつもりはあれ、奪うことなど考えてもいない。考えてもいないのだ。
 それとおまけのようだが、パスポートを取得すると二万元ほどのお金を台湾政府から頂ける。一回こっきりだが、二万元だ。
 シャンは2つのパスポートを持って、今週には帰国する予定だ。

2016年4月29日金曜日

出産

 その時が近づいているのはわかっていた。今日か、明日か、分からないがとにかく近い。
 朝四時、出勤一時間前。起きるのは三十分後だ。ラオポーに起こされた。
 時折、痛みがあり、夜中から寝ていないという。出血も二度ほどあった。定期的な痛みは陣痛だ。大体30分くらいの感覚だ。
 陣痛がきてもすぐには産まれない。何時間後かは分からないがすぐには産まれない。そこで午前中だけ仕事に行くかどうか、迷った。しかし痛みの感覚が15分位に縮まってきている。私は会社に電話し出産のため休むことを告げた。そして下の階で出ている母親に状況を知らせる。
 私は病院に連絡し、陣痛が来たかもしれないと言った。看護師は私から詳しい状況を聞き取るとこう言った。恐らく陣痛で昼ぐらいまでには病院に来ることになる。痛みの感覚が7分位になったら病院に、入院の準備をしてくるように。
 私はすぐに入院の準備を始めた。その合間にラオポーに痛みが来ると、足の陣痛を抑えるツボを押したり、腰をマッサージしたりした。
 痛みの程度は生理くらいだという、と言われても私にはピンと来ない。痛みが来るとラオポーは顔を歪ます程度なので、まだ本格的な痛みは来ていないのだろうと思った。
 私が部屋の中をウロウロしていると、逆にこっちが緊張するからやめて言われ、たしかにそのとおりだと思い、準備を済ませるとNexus7に蒼天航路を放り込んで読んでいた。
 11時位になったが、痛みの感覚は7分にはならない。10分きったと思うと、次が15分後とかでなかなか進まない。
 ここでラオポーの要求があり、再び病院に電話。すると病院に来ていいというので病院に行くことにする。
 しかしその前にラオポーがどうしてもハンバーガーが食べたいというので、母親にモスバーガーにいってもらっていた。それを待ち、腹ごしらえをしてから病院行くと大体12時を回っていた。(こうして改めて書いていると図分とのんきなものだと思う)
 病院に行くとすぐに診察してもらう。医者は陣痛で間違いないと言った。
入り口は3センチくらい開いている。しかし陣痛が弱すぎる、この調子だと恐らく明日までこの状態が続くので、陣痛促進剤を使えば今日の夕方には産まれる、そのほうが本人のためにもなるという。もうすでに8時間は経過しているので私も同意し、ラオポーに状況を通訳した。
 すぐに分娩室に入ると、陣痛促進剤の点滴が始まった。助産婦さんが二時間位で効いていくる言った。隣の分娩室でも先客がいるようで助産婦さんは忙しそうだ、とりあえず最初は30分に一回様子を見に来るという。
 分娩室は真ん中のベッド以外はまるで分娩室には見えない、テレビやソファーもあり、個室の病室と言った感じだ。
 この時のラオポーはiPadで病室の写真を撮ったり、LINEで友達とチャットしたりして余裕だった。
 2時間ほど経過し、陣痛促進剤が効いてきたらしく痛みも激しくなってきた。私はずっと腰をもんだり、陣痛を抑えるツボを押したりしていた。
 助産婦さんがやって来て入り口を診察すると7センチほど開いているという。助産婦さんはそろそろいきみましょうといった。
 要は痛みが来たら踏ん張るわけだ。痛みが来たら息を吸って吐出さないように力を入れる、痛みが去る前に二回それをやるようにと言った。私は通訳するとラオポーはこの時には、ほとんどしゃべれない。わかったというだけだ。
 さらに一時間ほど経つと入り口は10センチになった、全開だ。
そこでやっと私はわかったのだがラオポーは微弱陣痛という症状であり、それは陣痛が弱すぎてなかなか産まれないような状況であるということだ。
 ラオポーは確かに非常に陣痛で苦しそうだが、よく出産の体験談で聞くような大声を張り上げるというようなことはない。いきむときにせいぜい少しあえぐような声が出るだけだ。
 それからさらに一時間、時計は午後四時を回っている。髪の毛がもう見える、もうひと踏ん張りという段階まで来て、小一時間は経過した。
 私は隣で通訳をしながらラオポーを励ますだけだ。必ずできる頑張れと。(あと与えられた役割は助産婦さんに指示されたらナースコールを押すということだけだった)
 助産婦さんは全開になってから一時間が経過したので、吸引器を使うことにするといった。だがあと5回がんばろうと言う。私は息も絶え絶えのラオポーにそれを通訳しとにかく頑張れと言った。
 だが、あと一息が踏ん張れない。ラオポーはもう力がでないと弱々しくいうだけだ。医者がやって来て吸引器という掃除機みたいなやつで吸い出すことになった。
 私はスマホで写真と動画をとる準備をした。これは逃せない。
だが、出てこない。やはり吸引器を使うと言っても、最後には母親のいきむ力が必要なのだ。医者が怒鳴るようにそう言って叱咤激励した。私はその語気のつよさに戸惑ったが、最後の最後の力をだすには理にはかなっている。
 私はふと大昔にお産で大勢が死んだことが、納得できた。このまま産まれる事ができなかったら
死ぬしかないだろう。それに陣痛の痛みの激しさの意味も理解できたような気がした。この痛みを逃れるためには何でもするというような痛みでなければ、出産を成し遂げられないんだろう。陣痛の激しさも必要不可欠なものだったんだ。だが、ラオポーはそれをなしにやり遂げなければならない。
 私はラオポーに言った。お前が頑張れなければ赤ちゃんは出てこれない、次で必ず生むんだ、必ず出来る必ず出来る。
 ラオポーは渾身の力で必死でいきんだ。
 医者が吸引器で、私の息子をこの世に引きずりだそうとしている。頭が出てきた瞬間、医者は力を抜けと言った。頭の形がすこしゆがんで、灰色の身体が少し見える。私はラオポーに力を抜けといった。だがいきなり全身の力を抜くなんて無理だ。硬直しているラオポーに息を吐けと言った。息を吐くと力が少し抜けて、息子この世に出てきた。
 ベッドの柵を握っていたラオポーの手はまだ硬直している。やっとのことでラオポーは指の力を抜いた。
 そしてやっとラオポーは息子をその手に抱くことができた。4月18日16時18分だった。

2016年4月17日日曜日

 ラオポーの優雅な生活も、最近はもう優雅さとはかけ離れている。原因はもちろん大きな腹だ。既に予定日を五日過ぎているので、相当な大きさだ。
 もともとラオポーは、台湾で産む予定だった。が、今現在私と一緒に日本にいる。日本で産むことにしたのだ。
 出産にどうしても私が立ち会いたいのが理由だ。二人でかなりの時間をかけ話し合ったが、結局こうなった。
 ラオポーとしては言葉が不自由な日本で産むのはやはり不安がある。しかしなにも洞穴、ジャングルの奥地、北朝鮮の政治犯収容所で、子供を産めと言っているわけじゃない。
日本のちゃんとした病院なのだ。21世紀の今日これは大した、話じゃない。
 今日の朝、ラオポーは出血した。夜には時折、お腹に痛みを感じている。どうやらその時が近いようだ。

2016年1月6日水曜日

愚痴

 少し前にラオポーの兄貴夫妻が日本旅行に来ていた。私は可愛げのない姪っ子にも愛想を振りまき、車で色々連れ回してやった。そして帰って行った。お土産をたんまり(大陸野郎どもの爆買いには及ばないが。…)サムソナイトのスーツケースに詰め込んで。  それが、後日、ラオポーのお袋さんがラオポーにたんまりと愚痴をこぼす原因になった。  あれだけ大量のお土産だったが、ほとんどは兄嫁の実家に行ってしまったとお袋さんは怒っている。  お袋さんは、兄夫婦と同居し共働きの二人に代わり、二人の子供の面倒を見て、家事もほとんど全てやっている。兄嫁はお嬢様育ちなので、家事は買い物から掃除まで何もしない。  子供が生まれた時には100万円くらいのお祝いを送っている。この金額は異常であると言って良い金額だ。お袋さんは死んだ親父さんがそれなりの資産を残して入るが、決して金持ちではない。せいぜい小金持ち程度だ。まぁともかくこれだけ尽くしているのにこの仕打というわけだ。お袋さんの性格上、お土産なんて何も買ってこなくていいよ、とは言っているのだが実際には、物凄く買ってきて欲しいのだ。兄貴の方はお袋さんがそんな性格であることは百も承知しているはずなのに、ほとんど何も買っていかなかった。  それで怒りが収まらないお袋さんは、ラオポーに愚痴りまくる。決して兄夫婦には文句は言わない。私はラオポーから兄貴の方に伝えればいいのにともうのだが、ラオポーもそれをしない。  お袋さんは家政婦のような毎日をおくる。私はこう思う。俺の知ったことじゃない。

2015年12月11日金曜日

風呂

 家にはアメリカ人の二十歳の女の子がホームステイしている。クリスという。
 ラオポーはこのクリスをあまり気に入っていない。好き嫌いが激しいのと少し変わっているからだ。 ラオポー本人も変わっているところがあるのだが。とにかく気に入っていない。
 クリスは普段、シャワーを朝浴びるだけなのだが、たまに湯舟にもつかる。
 ラオポーはクリスが私の後に同じ湯船につかるのがいやらしくないか?と言う。私は何を言ってるのか理解できないが、湯船につかる習慣のない国の発想、だとは思った。
 台湾は日本以上に湿気が酷いので、日本人と同じように必ず毎日入浴する、だが普通はシャワーを浴びるだけだ。浴槽がないのが一般的だし、ほぼ100%トイレとくっついている。(浴室という言葉はあるが一般的でなく、トイレでシャワーを浴びると言うような言い方をする。ラオポーは日本の家でもその言い方をする)
 また浴槽がついてても取り外してしまったり、とにかく浴槽にほとんど馴染みがない。だがほとんどの家、マンション、アパート(最新の建物を除いて)の水道と給湯器の性能がとんでもなく酷い。水圧も弱く、お湯もちょくちょく水に変わる。対策としてクソでかい桶や鍋なんかを置いて、そこにお湯を溜めて使う、それなら浴槽をあったほうが便利だろうという非効率的な事になっている。これは私が台湾に住んでてかなり不満だった点だ。
 ラオポーのうちもこんな感じで湯船につかる習慣がないので、このよくわからない、いやらしいという感情が湧いてくるのだろう。かと言って一人一人にお湯を入れ替えるのも面倒くさいので、黙殺するのみだが。

2015年12月4日金曜日

台湾の神様

 少し前、ラオポーの女友達が日本に遊びに来て数日うちに泊まり帰っていった。その時に御守を忘れたとかで、ラオポーが慌てて台湾に送った。
何を慌てているのかと思ったが、数日後ラオポーが私に理由を教えた。
 それがないと幽霊が見えて、見えてしょうがないだそうだ。
 私は基本的にこういった話は、信じない。だが、本人が見えるというなら見えるんだろう。場合によっては病院に行ったほうが良い。
 だがラオポーはこういう類の話を信じる。ラオポーはその友達、Nとしよう、そのNの話をした。
 数年前から始まったらしい、ある日突然に。見えるだけではなく肉なんかも体が受け付けなくなった。
 ある日、Nが友達の家に遊びに行った、そこの居間には関帝の祭壇がある。日本でいういところの神棚や仏壇みたいなもんで珍しくない。ちなみに関帝というのは三国志の関羽が神になったものだ。するとNに関帝が話しかけてきた。明日、お前は土地公(神様の名前だ台湾にはそこら中に祀られている)のどこどこの神社に行きなさい、理由は聞いてはならない、と。
 Nは素直に言われた通りの神社に行ってお参りした。(私もこの神社には行ったことが二回ほどある、かなり有名な神社だ)お参りが終わると見しならぬ子連れの男性がNに話しかけてきた。あなたの名前はNかい?と。Nは当然驚いた。
 その男性はなぜ名前を知っているか理由を話した。昨日の夜に夢に土地公が出てきて、神社に行きNという女性を家まで送れと言われたというのだ。男性は半信半疑神社に来たら、Nがいたというのだ。
 子連れとはいえ、やはりNは女性なので見知らぬ男性の車に乗るのには抵抗がある。そんな素振りをみてその男性は自分は警察官なので信用してくれてと警察バッジを見せたそうだ。Nはそれならと家に送ってもらった。やれやれ気の利いた神様じゃないか!!
 ちなみに私の家で数日過ごした間にも何かを見たらしいが、ラオポーは怖くて聞いていない。

2015年11月23日月曜日

 妊娠も半年くらいになり、何回目かの検診。医者が超音波で胎児の様子を見ながら、性別を知りたいか聞いてきたので、知りたいと答えた。
 男だった。
 病院から出ると、ラオぽーが泣きそうな顔して女の子がよかったと言った。というよりうっすら泣いていた。
 私はペットの性別じゃないんだ、今の話を生まれてきた子供に聞かせることができるのかと、本気で怒った。
 ラオポーはグダグダ言っていたが、私は一切聞かずに、もう二度と子供みたいなことをするなと言った。
 ラオポーは一応、私の話を理解はしたようだが、本当にどうおもっているかはしらない。

2015年11月7日土曜日

 ラオポーが新しい友達を作った。近所に住んでる台湾人でラオポーより10歳くらい年上の女性だ。
 なんか話によると大物で名古屋市長と飯を食うくらいらしい。コンサートを仕切ったり色々してるしてるらしい。なんかよくわからないが大物だ。
 日本人の恋人が名古屋に住んでるので、こっちに住んでるのだが、恋人の父親に結婚を反対されていまはただ同棲している状態だ。なのでビザがないので三ヶ月に一回台湾に帰る生活を送ってる。
 それで色々と日本人は結婚についてどうなんだと聞かれたらしいが、私の一家は変わっているので、参考にならないと答えたらしい。
 確かにそうなのだが、40超えたおっさんが親に結婚反対されて、何にもしないってのも、だいたい同じくらい変わっていると思う。

9、犬

 妊娠も五ヶ月目になり、酷かった悪阻も腹痛も大分収まった。前は深夜に腹痛で眠れず汗びっしょりになってたりしたが、もうそんなこともない。
 最近は赤ちゃんも大分大きくなったようでお腹の中で動くようになってきた。
 で最近のラオポーの関心事は、台湾のことだ。馬英九と習近平が会談するというので怒りが収まらない。
 馬英九を馬英狗と呼んでずっと怒っている、まぁ当たり前だが。
 中国語で九と狗の発音は韻を踏んでいるので、ちょうど呼びやすい感じなのだ。

2015年10月25日日曜日

在留カード

 入国管理局へ行ってから2週間後。果たして無事更新の手続きが済んだというはがきが来た。これをもって入国管理局に行けば新しい在留カードがもらえる。その際には4千円の収入印紙がいる、くそったれ。  私はもうただ取りに行くだけが面倒だったので、母親に暇な時に車で送って行ってもらうように頼んだ。これで一件落着だ。次の更新までは。  そしてラオポーが新しい在留カードを取りに行ってきた。期限を見てみるとまた一年。次は3年か5年じゃなかったのか。  といっても、子供ができたので、更新の必要がない資格に変る。らしい…が。  

2015年10月18日日曜日

妊娠後

 妊娠3ヶ月。ラオポーの口癖は「吐きそう」。当たり前、だが。
 私は妊婦といえば、みかんとレモンばっかり食うと思っていたが、全然違った。炭酸を飲みまくっている。ほとんど毎晩コンビニまで買いに行かされる(道路の向かいにあるので、大した距離じゃない)。
 スプライトを手渡すと、さっと一口のみ、はぁとため息を付いて、吐くところだった一言。ほとんど薬だ。
 それに風呂嫌いになった。前はちょっとでも汗を書くとシャワーを浴びて、一日に2,3回入浴していたのに。妊娠後の今では全然変わった。
 髪が脂ぎっているのでどうしたのか聞いてみると2日くらい入ってない、そして3日目に途中する気満々。とか最近はそんな感じだ。私がさっさと風呂にはいれと怒らないと入らない。
 にしても、お腹の中の赤ちゃんは順調だ。
 

2015年10月12日月曜日

 ラオポーの在留カードが発行されてから約一年がたった。つまり更新の時期である。
 ラオポーがすっかり忘れていたので、危うく期限切れになるところだったが、のこり三週間。更新のお葉書などが来るわけでもないので、本当にやばかった。
 必要な書類―戸籍謄本、住民票、収入・納税の証明書、会社の在籍証明書などを揃えて、休日に入国管理局へ。
 クソ項目が多い申請書を書くだけで30分位かかる。こんな項目必要か?というのが本当に多い。結婚の届けを日本の区役所に提出した日など、このブログを書いていなければ全く覚えていなかった。台湾側の方なら結婚記念日となるので覚えているが、こんなこと一年後に聞かれても覚えているわけがない。
 申請書を書いただけでヘトヘトだが、まだ始まってもいない。番号札をとって一時間ほど待たされる。
 書類の受理はあっという間に終わる。2週間から4週間後に通知の葉書が届くので、それをもってまたここに来なければならない。この期間のうちにラオポーの在留カードの期限は切れるが、申請しているので、期限から二ヶ月間は延長という扱いになる。

2015年10月9日金曜日

 二週間後また病院。私達の子供は6ミリほどに成長し、心臓が動いていた。一つの体に2つの心臓が動いている。
 初めて知ったが、妊娠に健康保険は使えない。一万以上の請求書を見て一瞬うろたえる。
 今後は母子手帳を貰えば、同時に補助券もらえて、安くなるというシステムらしい。医療行為なんだから健康保険がつかえないというは、納得がいかない。が、私がどう思おうがどうにもならないことだ。
 といってもまだ貰えないみたいだ、妊娠の安定期にはいってかららしい。あと一回はバカ高い診察料を払う必要がある。
 ラオポーもブーブー文句を言っているが、しょうがない。
ラオポーは妊娠してから、夜に腹痛がひどく少し寝不足だ。今回薬をもらえたから少しはらくになるだろう。
 ラオポーが妊娠した。私の仕事が休みの日に病院に行くことにしたが、一週間ほどの時間がある。
 だが、ラオポーは夜、腹痛がひどくて眠れない時があるという、出血も少々。
 ネットで調べた限り、少々の出血は問題ないらしいが、ネットの知識で判断するべき事柄ではない。私は母親に病院への同行を頼むことにした。ラオポーは妊娠が安定するまで伝えたくないというが、もしものことがあると思い、強引に病院に行くように説得した。
 仕事の合間に気になり電話すると、妊娠は間違いなく、健康状態は良好だという。
 家に帰り超音波写真をみた。まだ数ミリの大きさしかないが、確かに生きている。

いたずら

 鋭く私を呼ぶラオポーの声を聞いて、ラオポーを見た。私はラオポーの隣でまどろんでいた。
 そんなボケた頭でも、ラオポーが妊娠検査薬を凝視している表情と声を聞いて、私がついに父親になったことを知った。
 この手の悪戯をラオポーはよくやるが、私は毎回それが悪戯であることはわかっていた。今回が本当であることもすぐにわかった。

2015年10月3日土曜日

運転

 車の運転。これはラオポーの重要課題のひとつだ。  車の免許をもっているが、まともに運転できない。
 近所に買い物のついでに練習させる。
 早速、自分が道路のどこらへんを走っているかわからない!と叫びながら運転する。
 前方に電信柱、左にすごく寄っているのでこのまま行けばサイドミラーは間違いなく吹っ飛ぶ。それに赤信号だ。
 私が、はい!止まってというが、止まらない。止まらない。叫ぶ!もう吹っ飛ぶ寸前でやっと止まる。
 私が何を考えていたんだ!と怒鳴ると、ラオポーはブレーキの場所がどこか考えていた、と答えた。

2015年8月23日日曜日

それを使うのは10年後だろう。

 いつの間にクソ暑かった真夏が終わっていた。私はただただ汗を流し消耗していた。ラオポーは―それが重要だ―相変わらずだ。  日本語の勉強もあまり進んでない。毎日勉強するという約束だけは100回位させたが、実行されてはいない。日本語の上達も、すごくすごく緩やかだ。してないようりは、はるかにマシだが。  一日の終りに、私は必ずラオポーに尋ねる。今日は何を勉強したのかと。今日は”ペラペラ”という単語を勉強したという。「私の日本語はペラペラです」というセンテンスを覚えた。