2013年4月30日火曜日

そういえばいつの間にか親父さんが死んでから100日たったらしい。女が肉を喰っている。
私はいつも食っていたが。
たった100日で私の中から親父さんの記憶は大分薄れつつある。

2013年4月29日月曜日

家に帰ると女がバイクを売りに行くという。
死んだ親父さんのバイクがあまったんで処理するのだ。あとなぜか車庫に放り込んである新車も検査のために上がっちまったバッテリーをなんとかするとかで、相当めんどくさい。
付き合わされて帰ってきたのはだいぶ遅い、疲れた。

2013年4月28日日曜日

日曜だが特にどこかに行こうという気にならない。女は温泉にでも行こうと言うが、この雨では外に出る気にもならない。

2013年4月27日土曜日

お母さんがくる。家庭菜園の様子を見にだ。
仕事がなかった頃は私がやっていたが、働き始めてからは全く来にしたこともなかった。
ちょっと風邪っぽかったが家庭菜園の整理を手伝う。手伝う。
全部捨てちまえばいいのに。

2013年4月26日金曜日

家に帰ると、女が明日お母さんが来るからと必死で掃除。わりとどうでもいい。

2013年4月25日木曜日

夜女と映画を見る。女が借りてきたのは、天国からのエール。
結構ダルかったので最後の方は寝ていた。女がちゃんと見ろと私を何回か起こしたが、私は観てるよ!と逆ギレして眠った。
起きたら映画は終わって女は泣いていた。主人子が胃がんで死ぬので親父さんの事を思い出したらしい。

2013年4月24日水曜日

昨日、私の弾になったフォトショップ女は職歴が優秀なので使える。
顔は不細工でもないのだから普通に写真をとればいいのに。あとはあのでかい胸を出しておけば、誰も気にしない。

2013年4月23日火曜日

この仕事で唯一価値がある事は、色々な女の子と次々に会えること。
今日は履歴書の写真を見ると期待大だ。
時間になりその本人らしき奴が入ってくる。顔が違う。
後で台湾人にそのことを話すと、台灣の写真屋は署名写真のフォトショップの加工サービスもしてると教えてくれた。
私はその女の履歴書の写真を私が撮った写真に差し替えた。これでは面接になっても、落胆が大きすぎて必ず落ちる。

2013年4月22日月曜日

履歴書をメールでばら撒くだけの仕事。
この国での私の価値はただ日本人であることだけ。それだけで仕事をして飯を喰う。
そんな日本人はこの国には大勢ることを知った。
クソッタレとだけ思う。

2013年4月21日日曜日

休み。女とDVDを借りに行く。
女はどうでもいいアニメを借りたがる。平成イヌ物語バウの全話入のVCDを借りると言い出す。
日本ではまったく根付かなかったVCDだが、台灣では根付いた。さすがに新作がVCDで出ることはないが未だにこういった場所にはある。
やすいかと思ったが、200元くらいした。高い。

2013年4月20日土曜日

休日出勤。二人ばかり面接する。
地味そうな女に、日本オタクのネェチャン。よくある手合い。
ドラマ、アニメがきっかけで日本語を勉強しはじめて、留学して日本の企業の就職口をさがしている。適当に話を合わせる。

2013年4月19日金曜日

二日前に就職を渋ってるガキに揺さぶりをかけたが、もう一発かける。
合格した会社は明日また四人面接する、気が変わっても責任が持てない。面接があるのは事実。
直ぐに採用を受けるというメールが返ってくる。ガキめ。

2013年4月18日木曜日

そこら中に大量の履歴書をばら撒く。ばら撒く。
一日が終わる。返答なし。つまらねぇ国でつまらねぇ仕事をしている。

2013年4月17日水曜日

私の仕事は人材派遣会社。
企業に弾をブチ込む。ブチ込む―只管ブチ込む。合格通知かもう要らないと言われるまで。
期待してかなった弾が大命中!GOTCHA!!
だが弾がゴネる。あと2社受けるだの、給料がどうのこうの。確かに給料は最初の応募条件よりは安い。が、相場だ。悪くはない。
善人を装って、アドバイスのような揺さぶりを掛ける。
そうであってはならないが、そうであると思わせなければいけない。と、4マキャベリは君主論で君主に説いたが、君主とは何の関係もない人材派遣会社の社員の私にもこの言葉は重要だ。
そうであってはならないが、そうであると思わせなければいけない。

2013年4月16日火曜日

今の職場で唯一働く価値が有ると思えるのは、一人だけかわいい女の子がいること。台湾人だ。
他愛のない話をする―昔のアダ名はシュークリームだった。由来は髪型。彼氏のアダ名はいちご。
昔、スナックのオネーチャンにキスマークだらけにされたのをみた同僚がそう読んだから。
台湾人は食べ物の名前を渾名にするのが好きらしい。

2013年4月15日月曜日

仕事が終わって家に帰り、服を洗濯機に放り込む。
お母さんが出て行ってこの家のルールも少し変わった。昔、洗濯機に女物の下着と靴下を入れるのは禁止。
理由は汚いから。汚いから洗うんだろうがと思うが、とにかく禁止。靴下は洗濯板で洗っていた。
台湾では未だによく洗濯板をみる。
私は靴下を洗濯板で洗う時間を人生で一番無駄な時間とよんでいた。

2013年4月14日日曜日

最近、気温が高い日は蚊が多い。台湾なんか蚊だらけなのだが、この家には蚊取り線香のたぐいはない。体に悪いから。下らん。
前は寝る前に蚊を全部見つけ出して掃除機で吸っていたらしい。アホくさくて付き合いきれん。
私は電気式の無臭の蚊取り線香を買ってきた。こっちの有名な蚊取り線香のマークはワニだ。

2013年4月13日土曜日

土曜日だが休日出勤。クソッタレ。ささっと終わらせて帰る。女が台北まで迎えに来て、女の昔の職場の人間と飯を喰うとかなったが、結局流れる。つまらん。
家で糞不味いピザを喰う。肉が入ってないからだ。100日も肉禁止とは面倒な習慣だ。死んだ人間なんかほっときゃいいのに。

2013年4月12日金曜日

仕事は残業。また雨、女が駅まで迎えに来る。帰りにレンタルビデオ店に。
レンタルDVD店へ。取り敢えず日本の映画を借りる。何となくGANTZを借りたが死ぬほどつまらなかった。ついでに2も借りなくてよかった。女はずっと訳がわかならないと言っていた。私もそうだと答えた。

2013年4月11日木曜日

晩飯。葬式が終わっても食卓に並ぶのは素食と呼ばれる精進料理、だ。死んでから100日は精進料理をたべるらしい、ご苦労なこった。が、それに付き合わされる私もご苦労なこった。
こっちは日本よりちゃんとした仏教徒が多いので精進料理用の店や専用の食材を売る店も多い。
なんかいろいろなモノを組み合わせて、肉っぽい見かけ味の物体が皿にのっかっている。確か店では神戸牛として売られていた。

2013年4月10日水曜日

今日は親父さんの葬式。服は昨日買った黒い長袖のポロシャツにしたは黒いカーゴパンツ。どうせ上から何か着させられるらしいのでなんでもいいらしい。
葬儀場につく。どうやら一番乗り。しばらくするとワラワラ親戚たちが集まってきた。親戚以外は呼んでないらしい。
日本と違い喪服を着る習慣がない。みんな完全な普段着、ぱっと見は葬式の参列者とは誰も思わないだろう。日本人は。
しばらくすると少林寺の坊さんみたいなのも来て、私達も孔子が着てるような服を着せられて準備完了。完了。
だが、服を着てるのは兄貴夫婦と女と私だけ、お母さんは着てない。あとから聞いたのだが年齢がほぼ同じなので、そういう人間は縁起が悪いから葬式のメインには立たないそうだ。なのでこの会場で一番故人と付き合いが薄い私がメインに立つという有様だ。
葬式会場は、中央に祭壇があり―これは日本と同じだ写真に花、違うのは棺桶が祭壇の裏側に置かれていることだ。参列者は父方の親戚、母方親戚が両側に別れて座る―教会の結婚式みたいに。所謂バージンロードにあたるところに私たちは黒い孔子は並んで立たされた。
少林寺の坊さんがお経を始めると、私たちは葬儀会社のおっさんの指示でタイミングよく土下座。
それが終わると祭壇の横に客に正対してたち、また土下座。それが終わるとまたバージンロードに戻り、土下座したり跪いて祈ったり。結構長い時間なので膝が痛い。葬儀会社は膝パットを配るべきだ。お母さんの時は膝パットを買っておこう。
そんな事を考えていると、兄貴が原稿を読みながらむせび泣いている。参列者はみんな釣られて泣いている。葬儀会社のおっさんたちはティッシュを配り始めた。サービスは悪くない。私も泣いてないがもらったので、涙をふく動作をして場を盛り上げる。
次に祭壇の裏側に連れて行かれ、死体と最後の別れ、やったぜ!親父さんは口がまた半開きになっており、なんか堺正章に似ていた。
それが終わると棺に釘をぶち込んで、出棺。
霊柩車はリムジンだった。私たち黒い孔子もリムジンに乗り込む。生まれて初めてだ。
火葬場につくと、直ぐに棺桶は焼却炉に放り込まれた。
そこで黒い孔子もお役御免。90分間またされる。
時間になると部屋に呼ばれる。骨は既に鉄の皿に移されており、ここからは日本と同じように親族が骨を骨壷に移す。
私たちは骨壷を持って、供養堂へ移動。糞豪華なコインロッカーに骨壷を納めてやっと終わりだ。
日本だと何か酒飲んだり何か楽しみがあるんだが、ひたすら泣いているだけ、つまらない。
特に私は死んでから一ヶ月も経っているので、今更泣けと言われても困る。

2013年4月9日火曜日

女が葬式用の服を買いに行くから、駅についたら電話しろと仕事中にメール。
駅につき電話すると、女は駅近くのベトナム人がやってる―簡易エステとでも言えばいいのかそういう店で足の爪を切って待っていた。
ここいらにはそんな店が20件くらいある。たいてい飲食店やらの店先を借りて路地の端っこで椅子をおいてやっている。だが馬鹿にしたもんじゃなく、腕がいい連中は月に安月給のサラリーマンの2~3倍を稼いでいる。
女は私を見るともう服は買ったといって、袋の中から黒の長袖のポロシャツをだした。黒ければなんでもいいらしい。

2013年4月8日月曜日

結構残業して帰宅。葬式が近いからか、女がひっきりなしに電話でお母さんと兄貴と話してる。
ピリピリして面倒くさい。

2013年4月7日日曜日

今日は特に予定が無いので、女とレンタルDVDを観て過ごす。
こっちは未だに個人経営の店がある。日本と違い会員にならなくても借りられる。その場合は保証金を置いていく、独特だ。
女と台湾の映画を観る。
台湾映画―長らく死んでいた産業だった。つまらないと誰も見向きもせずほとんどつくられていなかった。が、ココ10年くらいだいぶ頑張り、最近はつまらないイメージも払拭され、そこそこの数が作られるようになった。
最近のヒット作二本を観たが悪くない。

2013年4月6日土曜日

女と一緒に兄貴の家に。来週やっと葬式なのでわざわざお経を唱えに行くのは終いのはずだ。まぁ終いじゃなくても終いにさせてもらう。これ以上死んだ人間に時間を割くのは勿体無い。
ちょうど飯時に行き、うどんを茹でてみんなに食わしてやる。普段、兄貴夫婦は極端に味の薄い食い物を食わされているので、評判は良かった。

2013年4月5日金曜日

明日、また兄貴の家に行くのだが、女が何か料理を作って持って行けというので、その準備の買い物に行く。兄貴が冷えた麺が食いたいというので、ぶっかけうどんでも作ってやろうという事になった。
冷凍うどんとつゆを買う。問題は何をのっけるかだが、喪中なので肉類、魚、刺激の強い野菜―ねぎやニラなどもだめ。そこで大根おろしときゅうりをいれることにした。
もっと厳格に言えば、つゆも鰹節のダシがはいってるだろうからダメなのだが、面倒くさいので黙っておくことにした。

2013年4月4日木曜日

今日から台湾は四連休だ。今日は墓掃除の日で、金曜日は本来平日なのだが休みと休みに平日が挟まると、サービス業でないかぎり休みにしなければならないという法律がある。
が、私は仕事があると女に言い外に出た。休日を一人で過ごすためだ。
駅前のモスバーガーに篭りひたすらネットの用事を片付ける。午後三時くらいに家に戻る。

2013年4月3日水曜日

今日の仕事は弾との面接。人を面接するのは初めてだ。
一発目はGがヤッてくれるのでそれを隣で聞く事になる。だが、結構どうでもいいことを言って時間が長い。弾のねーちゃんも少し引いている。私は弾との関係に傷を付けないでくれと冷や汗だ。なんせ私には弾がないのだ。そういえば上司も私にGの面接は長いがそんなに長くやる必要はないと言っていた。じゃそんなヤツに指導させんなよと毒づきたいがしょうが無い。
面接の終わりに、こんな仕事を紹介しますよと、軽く見せるのだがGは持ってきたのが少ないとかなんとか文句を言い、何でアレを持ってきてないんだと私に言った。そのアレというのは面接前に私がGに見せた仕事でGがこんなのは条件に全然あってないと跳ねつけたものだ。
私は完全にGに見切りをつけた。それが今日の最大の収穫だ。
家に帰ると女が履歴書を兄貴におくれとやぶから棒。
私がなぜかと聞くと兄貴が自分が勤めてる会社に履歴書を出してくれるからという。
私は仕事の内容はと聞くと、携帯電話の関係なので私の前職に関係有るようだと女は答えた。
私は仕事の内容もわからないのは履歴書を出すとか出さない以前の問題と答えた。
私は個人に関する重要なことを勝手に決める事にハッキリと不快だと告げた。
今、兄貴夫婦は同じ会社で働いている。私もそこで働くなど本当にゾッとする。どれだけいい仕事でも勘弁だ。私はこの要求を何としてでもはねつけることを決心した。

2013年4月2日火曜日

仕事二日目。数人の弾から返答。弾とは一度会わなければならないので、何人かを呼び出す。まぁそれなりに順調なんだろう。
たまに上司やら何やらの指示があるようだが基本的には、各パートで勝手気ままに仕事は進めていいようだ。ところどころ報告さえしとけば問題ないようだ。まぁ私の性格に向いているといえば向いている。
だが、すごい無駄な工程が多い。二日目でもよく分かるほどに。まぁ日本ではありえないようなことをやってるが、気にしいたらやっていけなさそうなので、気にしない事にした。

2013年4月1日月曜日

日系企業に日本人や日本語を喋れる人間を紹介する会社。台湾にはこんな会社が数社ある。
そのうちの一つで働く事になった。
今日は仕事初日。早めに家を出て大分早く会社につく。隣の店でコーヒーを飲みながらちょうどいい時間まで待つ。
少し早かったせいかほとんど誰もいない。しばらくするとバラバラと出社する人間が出始め、だる~い朝礼が始まる。ひと目ですでにそれが形骸化しているのが分かる。
それが終わると上司が私の隣の席の人に仕事をしえてもらってと一言。そいつはまだ来てない、どうやら遅い出社が認められているみたいだ。
それが来た。ジイさんなのでGと呼ぶことにする。Gは簡単に仕事の流れを話すと前置きし、長々と仕事の流れを説明してくれた。Gは相当面倒くさいのがわかった。必要最小限の事を教わったら仕事のメンでは関わらないようにしよう。
Gから仕事の流れの説明をうけて直ぐに実際に仕事開始。会社に登録されている弾となる人間に片っ端から電話を掛けまくり自分の銃に装填するのが最初の仕事だ。
それが終わると、弾を撃ち込む場所を選んでブチ込む。流れは至極簡単だ。
Gは私が一切メモしないのでそれとなく自分が仕事覚えた時はこんなふうにメモっていたとノートを見せてきた。私は不必要な事はメモらないので感心したフリはしといたが、無視した。
とは言え私には肝心の弾がないので今日は殆どすることがない。暇ので弾の履歴書の自己PRを見て時間を潰す。こっちの人間はやはり日本より自己主張がついからか自己PRも気合が入っていて面白い。ちなみに自己PRはこっちでは自伝といい内容は自伝だ。
中には留学の苦労話などが書いてあり、ひとつの物語となっているので素直に感動してしまうものも数多くあった。
そんな事をしているうちに就業時間。
女が駅まで向かいに来た。昨日の夜から私が仕事に出るとずっと寂しいと言ってたのでそれでだろう。新婚だからではなく親父さんが死んだ影響だ。家にずっと一人でいるのがきょくどに寂しいらしい。夜も親父さんが死んでからずっと電気をつけて眠っている。私は大抵の状況で眠れるのでどっちでもいいが。
私は女に仕事は我慢出来る範囲だと言った。