2013年3月31日日曜日

台湾は春になり、毎日雨だ。今日も朝から雨。私たちは電車で兄貴夫婦の家に行った。お経を唱えて飯を喰って帰る。帰りは兄貴が送ってくれた。兄貴はウチのテレビが見えなくなったので見てやるとごちゃごちゃやっていたが、どうにもならなくて帰っていった。
それから10分もしないうちに、女と二人で飯を作っていたら玄関のチャイムが鳴る。女が出たが戻ってこない。
私が階段を少し降りて除くと、兄貴の足がちょうど見えた。何か話し合ってる。私は気にせずに料理を続けたが、時間が長い、やけに時間が長い。その上小声だ。
私はピンときた。クソッタレここの住人がタレこみやがったのだ。
私はゲームを爆音でやりすぎて二度警察に通報されている。そこ事をチクりやがったのだ。薄汚ねぇ密告屋どもめ!
しばらくすると兄貴は何でもない何でもないと帰って行き、女がキッチンに上がってきた。私はブチ切れられるかと思ったが、女は困った顔で私にどうしよう!!と言った。
女は兄貴が向かいだか二階だかの住人から、私と女が毎日のように喧嘩していて、私が女に暴力を振るっていると教えられたという。
確かに二度とも警官は中で激しい喧嘩が行われていると駆けつけてきて、私が一人でゲームをしているのを確認して帰っていった。
だが、取り敢えず警察の話は漏れていないようだ。私は少し安心し、これからはあまり大声を出さにようにすると女をなだめた。まぁ実際喧嘩の時にはそれほどの大声を出してないわけだが。
しばらくすると電話。女が出る。女が警察!!そんなの来た事ない!と言ってる。
クソッタレ、帰り際にまた余計なことを言いやがった。警官も通報者にゲームだったと報告すればいいのに。
私は頭の中で、警官が来た事が重要でないので言うのを忘れていたよ、それにあの日はウンタラカンタラでね、すっかりウンタラカンタラでわすれちたのさ、と言う感じで答えるのを何度かシュミレーション。
女が電話をきり、兄貴との電話の内容を話すが、警察の話は出てこない。女はまさかここに二度も合計三名の警察官が来たとは思ってもいないのだ。
私はさっきの警察の話を脳の一生使わない倉庫の入口付近に放り込んで、ひたすら恥ずかしいという女にこんな面白い話しがあるかいと大爆笑して、無理やりジョークに変え、この話題は取り敢えず葬り去った。

2013年3月30日土曜日

女は朝から兄貴夫婦の家へ。毎週末、祭壇にお経を読みに行く。が、それも今週と来週でやっと終わりだ。つまりやっと葬式だ。死んだ人間にこれだけ時間を掛けるのは本当に無駄だと思う。
私はのんびりと過ごす、ゲームで殺し合い、コンビニでビールと唐揚げを喰い、眠る。
女が帰ってきて、兄貴の話をする。兄貴が親父さんが帰ってきたのを見たという。帰ってきた親父さんというのは勿論こないだ末期がんで死んだあの親父さんだ。
見たのは死んだ次の日。ベッドの横で寝ているお母さんを観ていたという。
あの日は前の晩に親父さん死んじまって、それからぶっ続けで念仏を唱えまくるというイカレたイベントをやったばかりなので、そんなものを観てしまう科学的な根拠ってのはいくつだってあげられるだろう。いくつだって。
親父さん死んで、眠りもせずに、一晩中念仏を唱えまくってイエー!超ハイ&ローテンション!幽霊くらい観れるさ、脳の何とかパミンとかのお陰で、さ。
私はふとその姿を思い浮かべようとして、ブルっとした。ゾッとくるぜ。
私は怖いねと女に言った。女は失礼だと激昂、した。そしてもし私の両親が死んだ時に同じ事を言ったら私がどう思うかと言った。
私はもし両親の幽霊が出てきたら逃げると答えた。ココらへんは微妙なところだ、日本でも肉親の幽霊は怖くないたまに聞くがそんな事、誰がそんなこと分かる。もうすでにヒトではなのだ。
最近、映画とかドラマとかで何故、幽霊がわけの分からない行動を取っているのか?というのに論理的な答えをだしたのがある。それは死んだ状況が受け入れられず狂ってしまった、まぁ精神を病んでいるという解釈だ。つまりブルース・ウィリスは精神科医を開業すれば患者に困ることはない。
頭がオカシい奴が隣にいると怖い。昔、仲よかった友達がストレスで精神がぶっ飛んでそいつの両親が迎えに来る間、二三日面倒を見たが怖かった。仲は相当良かったが怖かった。
幽霊で狂人だとしたら両親だろうがなんだろうが怖い。というのが私の理論だ。

2013年3月29日金曜日

女は仕事へ行く。今日は私の毎日が日曜日の終わりの日。終わりの日。

2013年3月28日木曜日

女は恒例のお経を上げに行く。四十九日までやるそうだ。面倒なこった。
今日は私も来るかと聞いたが、私は行かないと答えた。
女は義姉さんも(兄貴の嫁)も来てるのにと文字通り口を尖らせた。
私は行かないと答えた。答えた。

2013年3月27日水曜日

今日は北投という温泉地に行く予定を立てた。午前出発前グダグダしていたら地震。大した震度ではない。女からチャットでお母さんに電話しろと指令が来た。私はそれを無視して家をでた。
二回ほど行ったことが有る風呂屋へ。最近できたとこらしく綺麗でサウナと水風呂があるので気に入っている。昼間は殆ど人が居ないので貸切だ。
私は電車を乗り継いいで風呂屋に直行。受付のねーちゃんが私にお釣りを渡しながらお風呂の後に無料で二階のカフェでお茶が飲めると言った。初耳だ。そういえば前回帰り際に店員のオバちゃんがお茶のんでけよと声を私に掛けたのを思い出した。私はどうせ高いんだろうと無視して店を出たが、無料だったのか。
私は中にKindleを持ち込んで4,5時間は中で過ごした。やはり毎日風呂に入りたい。
脱衣場から出る店員のおじさんが二階のカフェまで案内してくれ、コーヒーとケーキが出てきた。悪くない。前の奴らもちゃんと説明してくれればよかったのに。
家に帰ると女が親父さんの葬式の時に着る服の候補にアイロンをかけろという。シャツが三着ににパンツが二着、どれもすごくカジュアルなものだ。どうせならバシッと黒いスーツの喪服を着せてやれよと思うが、まぁどうせ死んだ奴は文句は言わない。永遠に。
私はアイロンを掛けるが、この家にはアイロン台がない。乾燥機の上に布を敷いてやっていたが、全然うまく行かない。私はアイロン台を買いに行くと言って外に出た。
近所のドデカイ雑貨店へ。日本だとドン・キホーテみたいな何でもあるチェーン店。300元くらいでホコリをかぶっていたのを見つけた。買って帰る。
家について実際使ってみると、酷い品質、直ぐに壊れそうだ。日本語が書いてあったので日本製かと思っていたが、よく見ると文法が無茶苦茶。ヤラれた。
だがそれでもアイロン台としても役目は果たしてくれた。やはり全然捗る。捗る。
アイロンをかけながら女のとりとめのない話を聞く。義姉が先々週くらいから働き出したと言った。子供が生まれてから2ヶ月経ってないが仕事に復帰したらしい。
こっちの連中―中華圏の連中は祖父母に子供の世話を頼むのが普通だ。女と兄貴も幼い頃は祖父母に育てられたらしい。

2013年3月26日火曜日

今日は面接だ。登録していた人材派遣会社から働いてみないかと誘われて、私はOKの返事はしたが、最終的に社長面接してから決まるとうので、今日はその社長面接だ。
午前中は別の登録していた人材派遣会社から面接受けた工事会社から合格の返事が来たと連絡があった。私は取り敢えず断り、午後に出かけた。
私を誘った担当者の雰囲気からして、私が相当の粗相でもしなければ大丈夫そうだ。が、本当のところはどうだかわからない。
私が受付に言って名前を言うと、前は名前やら電話番号を書かされたりしたが、お待ちしておりましたと、前とは別の広い部屋に通された。
内容は詳しくは書かない。粗相はしなかった。来週から働くことになった。ただ気になったのは二回目に来た時にいたかわいい女の子が居なくなっていたことだ。私は帰って女にそれを伝えた。
夜遅くに、洗濯物がどうのこうのという所から火がついて、3時間ほど大喧嘩になり、離婚がどうのこうと相当疲れた。

2013年3月25日月曜日

女が仕事に行ってからしばらくすると、長文のメールが届いた。内容は昨日、私が兄貴夫婦の家でずっとHTCを弄っていてあんまりお母さんと話さなかったので、お母さんが怒っている、ウンタラカンタラというものだった。
喧嘩にならないようにメールできたのだが、結局はGoogleのチャットで喧嘩になる。途中でめんどくさくなり私は返事をやめて、ずっと映画を観ていた。
女が帰ってきてから軽く喧嘩。結局、今後私が態度を良くするということで手打ちになった。

2013年3月24日日曜日

今日は兄貴夫婦の家に行かねばならない。女が車で行くというので渋々承知する。私は車の運転が嫌いだ。
久しぶりに家から10分ほど離れた車庫へ。狭い車庫でこないだはシャッターに散々ドアを擦った。擦った。
キーレスエントリーのボタンを押すが反応なし。鍵でドアを開けエンジンをかけようとするが、かからない。バッテリーが上がったようだ。
私はイラついてこんなボロ車処分しちまおうと本音を漏らすと、女がお父さんがせっかく私達二人にくれたのに酷い!と返してきた。
車を元々必要としない私にとっては余計なお世話と言っても良いプレゼント、いや嫌がらせだ。修理して毎年車税まで払う。クソッタレ。本当に要らない。遺品だといってもこのボログルマが何年持つやら。
さっさと処理して、この車庫をのゴミも全部捨てて人に貸した方が何倍も良い。
取り敢えず私たちは原付で兄貴夫婦の家に。
昼飯を喰って二回ほどお経を唱えて帰る。女が帰り道に私がずっとHTCを弄っていてお母さんと話さなかったので失礼だ怒った。私は嫌々、全く信じてもいない宗教的儀式にこれだけつきあってんだからこれ以上グダグダ言うなとキレた。今日の所はそれで収まった。今日の所は。

2013年3月23日土曜日

毎週末土日、兄貴夫婦の家にお経を唱えに行ってるのだが、もう女に勘弁してくれと交渉した。結果私はどちらか一日だけ行く事になり今日は行かないことになった。ついでに肉食わないといのも一人の時は開放してもらった。まぁこれは私は親父さんが死んだ次の日から肉を喰いまくっていたが。
午前は二人で家の掃除して、午後は女は一人で兄貴夫婦の家へ。私はダラダラとPS3やらネットをしていた。

2013年3月22日金曜日

先週セブン-イレブンSIMカードとHTC携帯が揃ったが、最低限の設定だけしてずっとほかっていたがちょっと弄ってみる。
SDカードを入れないと画像も保存してくれなかったので、32Gのを買ってぶち込む。クラス4で700元くらい。ちょっと高い。
ちょっと弄ってみると悪くない。悪くない。入力の言語の切り替えが面倒なくらい、だ。
素晴らしいのはデフォルトで中に放り込んである音楽を好きに着信音に出来ることだ。こんなことが素晴らしいとおもえるとは。
動画ファイルも適当なのを放り込んでみると何でも再生できる。モバイルルーター代わりくらいの気持ちだったがメインを張れるかもしれない。

2013年3月21日木曜日

PS3・BF3がやめられない。午前いっぱいゲーム。そういえば屋上の家庭菜園に水をここ二日くらいやってない。だが戦争中に家庭菜園の水を気にするバカがいるだろうか?
女が午後からまた寺でお経を唱えに行くので、昼に帰ってくる。私は袋入りラーメンを作っておけといわれたので、ギリギリまでテレビの前。30分ほど掛けて野菜炒めのせラーメンを作る。
女が珍しく美味いと言った。

2013年3月20日水曜日

女を送り出してPS3の電源を入れる。ここ数日BF3に取り憑かれている。久しぶりにやったが、やめられない。
爆音でやりすぎまた警察に通報された。今度は若い警官が二人。ゲームだと説明すると前の警官のようにきつい感じもなく、なーんだゲームか中国語上手いねとさっさと帰っていった。今度こそ気をつけないと女にバレて死ぬほど怒られるだろう。
午後、誘いのあった会社に電話。社長が来週はいるので社長にあってOKがでたらそれで全てOKだという。

2013年3月19日火曜日

女と相談して誘いのあった就職会社で取り敢えず働こうということになった。
晩飯に女が白飯に中華料理にコーンポタージュスープを作った。私は全然料理とあってないから食べなかった。女は理解できないと言った。

2013年3月18日月曜日

今日は面接だ。向かう先は日本の工事会社。場所は台北市内だが微妙に遠いところにある。行くのに二時間かかった。
元々仕事的にもあまり興味がなく乗り気じゃなかったが、この二時間を経て更に乗り気じゃなくなった。
時間になるまで待ち私はマンションの一室にあるその会社へ。会社へ。
若い男の日本人が私を応接室に通してくれた。中には5人ほどの人間がいた。
しばらくすると面接官がやって来た。
面接官は履歴書を見せてくれというので、私は転職会社からすでに渡されているので持ってきてないと答えた。
面接官は少し驚いた感じで、何もなしですかと言って、私の履歴書をプリントアウトするために出て行った。本当はセブン-イレブンにプリントアウトしに行くのが面倒くさかったのだ。それくらいやる気がなかった。
私は今直ぐにでも帰りたい気分が加速。面接官が戻ってきて早く終われと思いながら面接を受ける。
面接はそれなりに良好に終わった。3回ほど合格したら働く気はあるかと聞かれた。相当な人材不足なんだろう。
私は面接を終え、微妙な感じだった。
面接官に言われたのは、台湾に進出したばかりで仕事が無いので給料は低いが、バリバリやって会社の業績を上げてほしい。事業が拡大して立ち上げメンバーにはいずれ重役になって欲しい、ということだった。
もし仕事内容に興味があれば、給料が安くてもバリバリ働くのに異存はない。が、仕事内容に興味がなさすぎる。
私は女と相談してこの会社はスルーということになった。

2013年3月17日日曜日

また原付で兄貴の家へ。めんどくさい。本当は昨日お母さんに泊まっていけと言われていたが、私は断固拒否し、さっさと帰った。今日もその予定だ。
取り敢えずみんなで昼飯を喰って、またお経を唱える。女がお母さんに私が日本語でお経を読んでいるとか何とか言ったので、お母さんが聞いてみたいと言い出した。私は適当にお経っぽく読んでみせた。
それから女がお母さんの葬式の服を買いに行くからとUNIQLOへ。葬式の服をUNIQLOで買うなどと聞いたことはない。何でも葬式の一番大事な時の衣装は葬儀会社が用意するので、本当は必要ないのだが、その前の軽い儀式の服は必要らしく、それは黒ければ何でも良いらしい。
女は黒いシャツを買った。

2013年3月16日土曜日

台湾の仏教式葬式は長い。道教はもっと面倒で長いらしいが。
占いで決まった日取りまで、休日は祭壇が置かれた家を訪ねて念仏を上げる。めんどくさい。毎週土日は行かねばならないらしい。めんどくさい。
親戚も土日どっちかは顔をだす感じ、親戚が5,60人いるので常に客がいるような状態。本当にめんどくさい。
原付で30分くらい掛けて、祭壇のある兄貴の家へ。一日三回お経を読むのだが、行くと二回ほど付きあわせられる。私は死んだ人間に対して意味の分からないお経を唱えることに何の意味も見いだせないので適当に飛ばし読み。
女が帰るとちゃんと読めとか何とかうるさいので、読んだと答えると、私より中国語が早いわけがないと、またうるさい。私は日本語で読んだ、小さい頃はよく読まされたのでスピードは早いと適当に答えた。
今まで生きてきてお経なんか読んだことはない。女は納得した。

2013年3月15日金曜日

新しく登録した会社から面接の連絡。月曜日に面接、日系の工事会社。
夜女が帰って来たので、モバイルルーターを買いに行こうと言うと、モバイルルーターの白ロムを買って女がもっと安い会社のSIMを入れようという。
私は女に言った。安い会社ってどこだよ?大手三大キャリア以外は糞だって昨日自分で言ってたろう、安いってどこ7mobileか?
台湾のセブン-イレブンはケータイのSIMも売ってる。コンビニでよくCMを見てたので何となく口をついてでた。
女がそれだ!と答えた。
セブン-イレブンに言って聞いてみるが、データ通信だけのSIMはないらしい。それなら今のケータイは解約して、モバイルルーターじゃなくてスマートフォンを買ったほうが良いという結論になった。
HTCの4500元くらいのスマートフォンを女がヤフオクで即ゲット。(htc desireC)

2013年3月14日木曜日

女は午後から寺だか何だかに念仏をやりに行くので休み。49日が住むまで週一回やるらしい。私は行かない。女が私がもうすでにす事を見つけて働き始めているとみんなに言ってしまったからだ。お母さんは私がわざわざ休んで来る程でもないからと前日に電話があった。本当は一番暇なんだが。(私は日本の大手の宅急便の会社で働いていると言ってしまったようだ。)
午前中は私と女は携帯会社に行く。私が外でもネットを使えるようにしてくれとさんざん頼んみやっと受け入れられたのだ。
選択肢は2つ、モバイルルーターかテザリング機能付きのスマートフォンか。
携帯会社を幾つか周り値段表を比較。使い放題だと大体1200元弱ってのが大体の相場。モバイルルーターなら3年縛りで850元~750元。モバイルルーターを買おうということになった。
夜、女が帰って来てから、再び携帯ショップ。しかし女は私の携帯を契約してから一ヶ月経っていないので、今日は買えないといわれる。一ヶ月に一台しか契約できない規則があるようだ。明日なら大丈夫と言われ帰る。(私が契約しようとしたが外国人はデカイ店じゃないと無理らしい)

2013年3月13日水曜日

女が仕事に行った。私はPS3でバトルフィールド3にログイン。このクソみたいな家で、元々あったもので唯一価値があるモノ―50インチのハイビジョンテレビ。美しい映像。調子に乗って爆音でプレイ。
一年のブランクは私の腕は最低になった。
呼び鈴がなった。戦争中に呼び鈴がなったからと仲間を見殺しにするか?何度かなる。嫌な予感がする。
覗き穴を除くと外にいるのは警察官。腰にオートマチックの銃をぶら下げてるから間違いない。
ドアを開ける。戦争中でも警官には協力しなければ。
警官は騒音で近所から通報されたと言った。プラス私の声と何処かの国のプレイヤーのファックと叫ぶ声で何かあったと思われたのだ。
警官にゲームをしていたと説明し、謝る。一応わかってくれたようだが、家の中を確認するという。
警官は居間に入り、サッと中を確認しさらに私の身分証明証を確認、更にまた女の電話番号を聞いて掛け始めた。
これで女が出たら相当怒られる。女は出なかった。
女は知らない番号から掛かって来ても大体かけ直さないので多分大丈夫だ。
警官は最後に私の番号を聞いいて帰っていった。

2013年3月12日火曜日

久しぶりにスーツを着て外出。転職会社の面接だ。
会社に着くといつもの担当のオッサンが出てきて、今日は普段着で良かったのに良い忘れてたわと一言。面接じゃないのか?
面接と言うよりは勧誘だった。そこそこ若い日本人の基幹社員が一人欲しいので私に声を掛けたということらしい。
他にも面接を受けるので返事を保留して会社を出る。
雇用条件は我慢出来る範囲だ。取り敢えず仕事は確保できたので私は安心した。
スーツが破れていたので台北駅前の三越で新しいスーツを買う。6万くらいだった。まぁ良いのが一着あれば、基本的にスーツを着る習慣がない台湾では十分そうだ。

2013年3月11日月曜日

登録している就職会社から電話があった。内容はウチの面接を受けてみない?私は明日面接を受けると返事をした。
私は今日は温泉にでも行こうと思い、朝から出かける。
朝飯はコンビニで牛肉麺と唐揚げとおにぎりとビール。喪中なので全部NGなのだが、私にとってはどうでもいいことだ。
台北の北にある温泉地で温泉に入る。平日なので誰もいない。貸切りだ。
それから台北駅周辺で買物。Bluetoothのマウスが壊れたので新しいマウスとPS3及びタブレット用のBluetoothキーボードを買った。
ついでに昼飯。ペッパーランチでステーキ。日本でも行ったことはなかったので生まれて初めてだ。

2013年3月10日日曜日

朝八時くらいに起きる。女だけが寝ていた。特にやることもないみたいだ。朝昼晩やると言ってた念仏をやる気もないらしい。よくわからない。
親戚が訪ねて来ては去っていく。親父さんもお母さんも兄弟が5,6人いてさらにそれに3,4人子供がいるので親戚は相当を多い。
病院の霊安室で私を気遣ってくれた叔母さんもやって来た。叔母さんは何故か私に朝ごはんにたべてくれと、台湾のおにぎりみたいな料理を買ってきてくれた。
それからまっったくやることがないので、叔母さんが近くに山があるから女と散歩に行って来いと言ってくれ。私たちは散歩に。天気が良かったのでこれはなかなかの息抜きになった。
午後は親父さんの遺骨を放り込む納骨堂を見に行く。
台北の郊外の山奥。13階建ての円形の塔。中身は趣味の悪い骨壷コインロッカーだ。豪華さで三段階くらいに値段が別れており一番高いのはVIP区と書かれている。親父さんの骨はVIP区に放り込むらしい。VIPというネーミングに美学がない。仏教ぽい名前をつければいいのに。
骨壷ロッカーの場所の候補を2つくらいに絞って納骨堂を後にする。その後に葬儀会社のオッサンと葬儀の日程の相談。
これは死んだ人間の生まれた日時や死んだ日時から占いで決める。アホらしい。来月の上旬くらいにやるらしい。
夜、やっと家に帰る。疲労が原因だろうが、酷い頭痛。薬を買ってきてもらう。

2013年3月9日土曜日

深夜プラスワン―引き続き・霊安室。アミトフのワンフレーズを唱え続ける。
次々と親族が来ては消えて行く。残るのは親父さんと直接血縁関係が人間だけ。三人の妹と兄夫婦が残った。
また霊安室のドアが開く、変な布を体に巻いた坊主頭のデブがいる。よく見るとそいつは袈裟だった。坊さんがやって来た。
坊さんはお経のボリュームをマックスに上げ私達を外に出し、この儀式の説明を始めた。朝の8時に遺体を取りに来るまでこのイカレた儀式を続けるらしい。私も死にたくなった。
坊さんは中での規則の説明をした。今まで立ってやっていたが座っても良い、中では喰うのは禁止だが、飲み物は何を飲んでも良い、私語は禁止、疲れたら外で適当に休んだり体を動かすのは全く問題なし、坊さんは二時間ほどで帰る。
ちょうど12時くらいなので、八時間はたっぷりある。クソッタレ。
坊さんは私達をまた霊安室に入れた。坊さんはまず親父さんの死体に話しかけた。
内容は仏教用語が多くてほとんど聞き取れなかったが、大まかにはあなたは死んだので成仏しなさいウンタラカンタラ これから天国までの道のりはどうのこうの、親族や仙女が出てきてもそれは悪魔の誘いなので気をつけろとかそんな事を20分くらい話していた。それが終わるとまたワンフレーズ念仏の開始だ。
三姉妹の一番上の叔母さんが全員にペットボトルの水を買ってきて配った。私には最初に水をくれ、ちょっと外で安んでいいと言ってくれた。
ワンフレーズのお経を唱え続ける、よっぽど悲しくない限り眠くてしょうが無い。お母さんと女と兄貴の悲しみのテンションはMAXIMUM!!水も飲まずにぶっ続けで唱えまくってる。私と坊さんのテンションは勿論低い。兄妹たちもテンションはだいぶ低め。だいぶ前からあれだったのでみんな覚悟ができてたからだろう。
私は眠らないように水をガブ飲みしたり、水で顔を洗ったり色々としていた。坊さんは普通に寝ていた。坊さんは特にお経の声がデカイので寝ると直ぐにわかる。
坊さんも帰って深夜二時。私はコンビニでコーヒーとレッドブルをがぶ飲み。
お母さんと子どもたちはガンガンお経を唱えてるが、他の親族たちは私と同様で大分疲れてきた。外に休憩に行ったり、うたた寝したり。
後二時間という所で女が私に何で出たり入ったりしてるんだとお母さんが怒ってるとごちゃごちゃ言い出した。私は坊さんの言うとおりやってるだけだと言ったが、二時間ほどは我慢して座っていた。
朝8時、ドアが開く。病院の職員が来て死体の確認を兄貴とやっている。イエー!!やっと終わりらしい。次に入ってきたのは葬儀会社の連中、また死体に話しかけている。今からどこどこに行きますどうのこうのという感じ、これも五分くらいの長さで私はイラついた。
それが終わりやっと死体を移動専用のストレッチャーに載せかえる。ストレッチャーの四方には棒があり専用のカバーを被せると見かけは棺桶に入れたみたいだ。
車で30分くらいの移動。道中は何故か坂に差し掛かると中の人間が一斉に死体に”坂だよー”と叫んだ。
着いたの葬式場+火葬場+死体安置所の総合施設。
簡単な手続きを済ませて死体をテレビでよく見るようなロッカータイプのヤツに放り込む。その時にもまた死体に話しかける、これも長い、5分くらいあった。内容は毎回毎回同じような感じだ。頭にくる。
放り込む寸前、死体を包んでいた布から親父さんの顔が見えた。死んだ直後、口が半開きだったが閉じていた。私は口が開きっぱなしだったので死後硬直したら面倒なことになると心配していたが、自然に閉まるものらしい。(あとからみんな話していたが、口と目が自然に閉じていたのは朝まで念仏を唱え続けた結果ということらしい。また浮腫んでいた顔も治っていたとみんなびっくりしていたが、顔の浮腫は念仏を唱える頃には治っていたのを私は見ている。)
ここで一時解散だ。
女と二人で家に帰る。ストレスとレッドブルとコーヒーが私の胃を痛めつけている。クソッタレ。
私と女はシャワーを浴び、ベッドに入った。私はこれからの予定を聞いた。
今日は午後から兄貴の家に行く。兄貴の家には祭壇が作られているのでまた今日の夜と明日に念仏をやるだろうと言う。私はゲロを吐き散らしたくなるような衝動を覚えた。
すると女が今日のようにごちゃごちゃ動くなと私に言った。私は父親が死んだばかりの女を気遣ってやりたかったが、マジギレした。今日と明日の為にも。マジギレした。(台湾に来てからのストレスが頂点に達した、ちょうどこの時に)
私は眠気を抑えるための最大限の努力を行っただけであり、休憩だって五分以上はとってない。
女はシクシク泣いて喧嘩したくないと言った。
私は今日と明日の念仏を乗り切るには、下らん文句を言わせてはマジで現場でキレそうなので、更に泣いてる女に言った。私に文句を言う前に、寝たりらいちょこちょこ外に休憩をとりに言っていた実の兄妹たちに文句を言え、と。
女はまたごちゃごちゃ言っていたが、私も強く言い過ぎたと謝り、喧嘩は終わった。喧嘩と言うよりは私が女を泣かしただけだが。
二人で二時間ほど眠った。
起きたてから、親父さんの葬式に使う写真やお母さんの服などを探す。その時に女が札束を発見。札は人民元だ。財テクだけが趣味の奴が死ぬと虚しいと思った。
兄貴の家へ。葬儀会社(この時にわかったのだが正確に言うと仏教団体の葬儀部門なのらしい)が祭壇を作っていた。祭壇が作り終わると私達に朝昼晩フルーツを捧げてお経を唱えろと言い残して退散していった。
取り敢えず昼の一発目のお経を唱える。この時初めて朝まで唱えていた念仏のフレーズが何なのかわかった。南無阿弥陀仏の阿弥陀仏だった。
どうやらみんなで10分くらいのお経を唱えるだけで、昨日様な事はしないらしい。
それからはただまったり。兄貴夫婦の赤ん坊の面倒みたり、訪れた親戚たちの相手をしたり。
夜、晩飯を喰ってみんなで念仏を唱える。時間があるので30分くらいのバージョンをやる。各個に勝手に唱える感じで、赤ん坊がないたら中座したりと適当な感じ。イマイチどんなテンションかわからない。
それから女と私は原付の乗って赤ん坊の靴を買いに行く。そいう習慣らしい。
帰って来たらみんな爆睡。私は木の長椅子にタオルケットを敷いて、更にその上に敷いた寝袋の中で眠った。

2013年3月8日金曜日

回線業者がやって来てぶつ切り回線を直していった。昼には電気屋が来るはずだが、4時くらいまでこなかった。これが台湾だ。
来たら仕事はちゃんとヤッてくれて、やっとマトモにネットが出来る状態になった。
夜、再び病院に行く。その道すがら女が私にお母さんがもっと親父さんに話しかけるように言っていたので、今日は親父さんに話しかけるようにと言った。
私はモルヒネでラリっていて話しても無駄だと思っていたが、話しかけたほうがいいらしい。今更言うなという感じで私は少しかちんと来た。
病院につく。ここらへんは標高が高いので原付で来ると寒い。
病室に入るとベッドで知らないオッサンが眠っていた。アレっと思ったが、それは親父さんだった。顔が異常に浮腫んでいる。特にまぶたが腫れていて別人の顔になっていた。
お母さんが私達に水を飲ませる時は、スポイトを使えと言い残して帰っていった。もう何をする力も残っていなのだ。
私と女は親父さんをマッサージした。私はマッサージをしながらもう早く楽になって欲しいと思った。口には出せないが。
それから一時間ほどして看護師が体温と血圧を測りにやって来た。体温は異常なし、血圧は二度測ったが両方とも低いほうが66とか70とかだった。看護師は医者を呼びに行った。
五分もしないうちに医者の代わりにテレビでよく見る機械を押して戻ってきた。電気ショックをやる除細動器ってやつだ。遂にか、と私は思った。
看護師は一応ダイジョブだと思うけどこれを設置しますねと、親父さんのベッドの横に置き、それを親父さんにつないだ。除細動器からは親父さんの鼓動をモニターし始めた。正常に動いている。両方共。
私は女にお母さんに報告するように言った。女は心配させすぎるといけないから止めておくといった。女はよく嫌なことを見ないようにする。
私は絶対に電話しろと強く言った、事実は言うだけでいい、と。女は電話した。
私は大丈夫そうなので原付の移動とメールのチェックに行くと病室を後にした。今日も長い夜になるだろうと私はセブン-イレブンで牛肉面にソーセージをぶち込んでそれを腹にぶち込んだ。
PCを開いて直ぐに電話がなった。女だ。女が言った、もう直ぐ爸爸が死ぬと。
私はPCを手早く片付けて病室に戻った。
病室に入ると女と看護師が口を大きく開けて目は半開きの親父さんの服を脱がしていた。こっちの人間は死ぬ時は家で死なせる、女もさっきそう言っていたので帰る準備をしているのだと思った。
除細動器から聞こえる鼓動の音はさっきのペースの半分くらいだった。
女が私を見て爸爸が死んだと言った。
私は服を脱がすのを手伝った。女が除細動器のケーブルを親父さんから剥ぎ取ったら、看護師が飛んできてまだダメだとケーブルを付け直した。
女は何か事務手続きをしてくれと言われて病室から出て行った。私は荷物を片付け始めた。
しばらくすると兄貴とお母さんがやって来た。お母さんは親父さんの手を握って泣いていた。
気がつくとケーブルはすでに撤去されて親父さんは静かにベッドで死んだように眠っていた。
私はその姿を見て思った。アレもう死んでねぇ?
どうみも体は微動だにしていない。触ってみたが動いてない。ゴミを捨てに行ってるうちに死んでしまったのか?だが親父さんが死んだかどうか聞ける雰囲気ではない。でもついさっき看護師も話しかけてたのにな。
五分後くらいに私と女が荷物を車に詰み行くように言われたので、私は女にこれからどうするのか聞いた。家に戻るのか?と。
女は多分、葬儀場に連れて行くという。私は家には行かないのかと聞いた。もう間に合わないと女は言った。どうとも取れる返事だ。
私はハッキリと聞いた。親父さんはもう死んだの?と。
女は私が病室に帰ってくる前に死んだと言った。ほんの10秒くらいまえらしい。だが除細動器からは親父さんの鼓動をモニターするビープ音が鳴っていた。女にこのあともいろいろ聞いたが女も混乱していたので親父さんがどこのタイミングで死んだのかはよくわからなかった。細かい話なので私はもう気にしないことにした。
荷物を車に放り込んで病室に戻ると病室は空。看護師の話ではどうも遺体安置所にいったらしい。
安置所には仏教の祭壇があり、三蔵法師みたいな仏像が祭ってあった。その前に親父さんの遺体は黄色い布にくるまれ安置してあった。
安置所には一フレーズだけを永遠に繰り返すお経みたいなのが流れていた。
お母さんは手を合わせてそのフレーズを繰り返していた。女は爸爸はナントカナントカの仏教だからアミトフと唱えてと私に言って、お母さんと一緒に手を合わせてそのフレーズを繰り返し始めた。私もそれに習った。
私は親父さんが包まれた黄色い布を見ながら、まったく悲しくなかった。義理の親子といっても付き合いは浅かった。知り合ったのは4,5年前だが会う機会は殆ど無く、一緒に暮らしたのも一ヶ月足らず。腹を割って話したこともなかった。顔見知りのオッサンが死んだくらいの感じだ。
そんな事を考えていると次々と親戚が入ってきて、念仏を唱えだした。
私は思った、まさかこれ朝まで続くの?

2013年3月7日木曜日

朝、病院から帰ってくる。眠る。眠る。少しだけ。
女は仕事へ、午後やっとネットの回線の業者が来る。
無線LAN機能付きのゲートウェイだったが、無線LANの申請をしてないので使えないようにしてあるからと業者の兄ちゃん。申請すれば10日後くらいにまたきてやってやる、でも月額費用が増えるからと続けて、さっさと帰っていった。
無線LANルーターはあるが、無駄に二台無線LANルーターを連ねてもどうしようもないので、自分で弄ってみる。
ブラウザからは接続できたので、中の設定を色々弄ってみるがどこかわからない。有線でネットに接続して色々調べて見たが、調べている間に回線がたまに切断される。
女が夜帰ってきたら、私は解約してしまえと女に言った。女はサービスセンターに電話したが、明日回線は業者を派遣してなんとかするとヤラれてしまった。
無線LANの設定も近所の電気屋に設定してもらうからと女。
私は渋々だが納得した。

2013年3月6日水曜日

夜。女が帰ってきて病院に行くと言った。私が病院お泊りグッズを準備していると顔見に行くだけだからと直ぐ帰ってくると言うので、私は財布だけポッケットに突っ込み原付にまたがった。
病室に着くとお母さんと兄貴が帰り支度をする。荷物でも取りに帰るのかと思っていたが、女と明日の朝6時くらいには来ると言っている。
どうもついさっき気が変わったらしい。クソッタレめ。暇つぶしお泊りグッズは置いてきた。
親父さんに目をやる。驚愕。頬は更に痩けこて、こめかみの辺りも痩けて頭蓋骨の輪郭がはっきりしている。目と口は半開きで、半開きのまぶたから覗く白目は黄色く濁っている。鼻にはチューブを入れらていた。
私が呆気にとられていると、お母さんが親指よりデカイ綿棒に水を浸して、親父さんの口に突っ込むと親父さんは餓えた子犬みたいにしゃぶりついて水を飲んだ。生きているのではなく、生かされいるだけだ。
お母さんと兄貴が帰りしばらくすると、親父さんが目を開き私達に”再見、再見”と言った。その後私達に早く行け、早く行けと繰り返し、自分も立ち上がってどっかに行こうとした。勿論、自分の力で歩けないので何処にも行けなかったが。
モルヒネでラリった親父さんは朝まで自分が何をしたいかわからず、混乱していた。
小便をしたいといってズボンを脱いでも、直ぐにそれを忘れてズボンを履きそのまま便器に座り、その後また何をしていたか忘れてベッドに戻ったりと、朝までそんな事を繰り返していた。

2013年3月5日火曜日

女を送り出して洗濯やら何やらを済ませて、コンビニへ行く無線LANを求めて。ケーブルテレビを解約したのでネットが使えないのだ。水曜日か木曜日に新し会社が設置に来てくれるらしいが。
昨日の就職会社に応募する会社用の自己アピールを書いて送る。
家に戻り、この家で唯一価値のある50インチのテレビ映画を見ながらダラダラ過ごす。
女が帰って来て一緒に飯を喰う。その時にふと女が、私の台湾でのこの家の生活がのんびりリラックス出来ていいでしょう、と言った。いどない。私にとっては、潔癖症の変人夫婦が住む窮屈な暮らしでしかない。変人夫婦は今は居ないが、その夫婦の受け入れがたい規則は残っている。
私は正直に女にその事を言った。自分の家で有るという感覚は一切ない、お前と一緒だから辛うじて我慢している。
女は私の言葉にショックを受けたようだが、理解してくれた。
夜、お母さんから電話。女が話し込んでいる。電話を切った女にどうだったと聞いてみた。
すると女が内容を教えてくれた。お母さんが今日全ての株券を金に変えてお母さんの口座に入れた。しかしその金額は兄には決して言わないこと。
私はなぜだと聞いた。兄貴は知っていも何ら問題のない事柄だ。母親から遺産を根こそぎもぎ取っていくような男ではないし、両親との関係も良好だ。
女が言うには、お母さんは入院してから全く金をだしてくれない兄貴に相当苛立っているらしい。加えて兄貴が一度も泊まりこみで親父さんの世話をしていないのにも怒っている。それで大金をもっていると兄貴にしれると、これから更に金を出してくれない、すると大事な老後の資金から出さざる得ない、これがお母さんは嫌なのだという。
私は兄貴夫婦は両親にマンションを買ってやっただろう、それだけでも十分じゃないかと女に言った。女はそのマンションは兄貴名義だから買ってやったとは違うという。さらにマンションを買うときにちょっと揉めたらしい。
女の両親は親父さんの調子が悪いのでエレベーター付きのマンションを買うように兄貴夫婦に頼んだ。兄貴夫婦が住むマンションに空き部屋があるのでそこが良いと。兄貴夫婦は一緒に住めばいいと言った。5部屋はあるし十分な広さだから私はまっとうな返答だと思う。
しかし女の両親は同居は兄貴夫婦に悪いので新しいマンションを買えという。買わないなら今住んでいるマンションを売り払って買うと兄貴夫婦に迫った。私はそっちのほうが兄貴夫婦に悪いだろうと思うが。
今住んでいるマンションは両親が相当苦労して買ったのを兄貴夫婦は知っているので、新しいマンションを兄貴夫婦は買ったのだ。
なるほど兄貴夫婦が金を出さないわけだ。私だって同じ立場なら出さない。しかも女の両親は金がない分けじゃないのだ。
私は女に兄貴夫婦に同情するといった。まったく心の底から同情する。
ちなみに親父さんはもう相当ヤバイらしい。最近は女もよく葬式の心配をしている。

2013年3月4日月曜日

今日はやっとビザ―居留証を取りに行く。やっと。
私は朝、女を仕事に送り出し、家庭菜園に水をやると家を出た。
三度目の移民局へ。受け取りの窓口で直ぐにそれは手に入った。
居留証はカードタイプだ。そこにはもっとも重要な事が書かれている。”これを所持している人間は労働ビザのの許可・申請を必要としない”
裏にも”これを所持している人間は期限以内なら何度でも入国が可能である”
一年後にはまた延長申請が必要だ。次の申請は3年目の期限で申請ができる。5年経つと延長申請は不要になる。
これを手に入れるのに手間だけはたっぷりと掛かった。私はテンション高めに駅まで歩いた。
今日はもうひとつ用事がある。新しい就職会社に登録してその面談行く予定だ。
モスバーガーでメシを食いながら、道を調べる。簡単な道だ。
約束の30分前に頭に叩き込んだ地図の場所に行く。ない。慌てて会社の住所と目の前のビルの住所を見比べる。全然違う。これは多分駅から全然違う方向来たなと思い控えす。
引き返す道すがらいろいろ地図を見て調べるが、全然全然わからない。
駅まで戻ってやっと正しい方向がわかった時には、遅れそうだったので遅れると電話。やっと辿り着く。思っていたよりも糞でかいビルにオフィスをもってる。
担当者は女性の日本人で20分くらい経歴の説明をする、後半は中国語のレベルを確かめるために中国語で自己紹介とか自己アピールをさせられ、質問とかをされる。一応問題ないといわれる。
取り敢えず今紹介できる会社として2つの会社の資料を見せてくれた。一つはネットゲームの会社で日本のユーザーの対応をするような仕事。もう一つは日本のリフォームかなんかの会社で現場で日本の社員と台湾の作業員の簡単な通訳とか作業の監督をするような仕事。
取り敢えず両方応募することにして私は家に帰った。

2013年3月3日日曜日

病院から帰ってくる。ここ一週間、腰がひどく痛む。痛む。
病院で止まっている時に変な姿勢ばかりで寝ていたので、それが効いてきたんだろう。
私は元々腰を痛めていてたので、何かキッカケがアレば直ぐにぶり返す。ちょっと前かがみになるだけでも痛い。これはヤバイので女に針に連れてってくれるように頼んだ。
数年前、東京で働いていいた時に肩こりと腰痛が酷い時があった。その時ちょうど台湾に女に会いに行ったのだがその時に、女の実家の近くの針の病院に行ったのだが、一発で治った。
そこの医院長がかなりのもんで、その病院は行列ができてる。
医院長の針の打ち方はちょっと変わっていて、何処が痛かろうが、右手の指の付け根の間に4,5センチの針をぶっ刺す。そしてその針にお灸をさす。
さほど痛くはないのだが、針が神経と神経の間に入ってくる感覚は愉快なものではない。出来れば腰にでも指してくれれば(他の病院では腰にしてくれた)見えなくて痛さも殆ど無いのだが。しかし効果は抜群、折り紙つき。その針治療を受けた後に女にマッサージをしてもらったのだが、いつもなら痛くて悲鳴を上げるのだが、女がどれだけ渾身の力を込めても私は何の痛みも感じなかった。
女と一緒に原付で病院へ。相当待たされやっと治療。
こっちの医者は診察の時に手を握る。手を握れば症状が分かるらしい。医者は何処が痛いのか簡単に質問し、手をちょっと握ってわかったという感じで、私の手にアルコールを塗り始めた。
私がクソ!やっぱり手かと思った時には、手に痛み。小指と薬指の間に鈍いような激しいようなわけの分からない痛み。思わず声が漏れ、私は俯いて目を瞑り苦痛に耐える。
前回より明らかに痛い。医者は次々と私の拳に貼りを挿していく。気がついたら五本の針が私の拳に刺さっている。
医者が女に何か言ってるが、拳の奥の”鋭い鈍痛”と矛盾した形容詞でなければ表せない痛みで何も耳に入ってこない。
10分くらいそこらを歩いて来いと最後に言われたのは分かったが。外に出ると看護婦が針にお灸をぶっ刺して火をつけた。
外に出ようと入り口までいったが、風が強い。私は風の針が振動が伝わると想像すると外に出るなどという気は完全に失せた。しょうがなく待合室をウロウロ。小学生の女の子が私のその様を見て怯えていた。
そろそろ10分かと針を抜いてもらいに診察室の近くにいったら看護婦がちょっと横になって待ってくれという。私は女に靴を脱がしてもらいベッドのうつ伏せになる。
しばらくしてまた看護婦。医者がだいぶ痛そうなので特別になんかしてくれるという。
直ぐに医者が来て私の膝の裏とふくらはぎの裏に針を打ち始めた。多分合計10本くらい。一箇所だけまた痛みを感じ、私は声を上げた。女が20分くらいはこのままだという。クソったれ。
その20分の間に女が説明してくれた。痛めた腰のアタリの血管の汚れた血を抜いているのだという。私は見えないし何も感じないのだが今出血してるらしい。どす黒い血が。
小指と薬指の間の針が痛い。手の甲の一部が細くエクボの用に凹んでいる。ここ抜く時はまた痛いんだろうと考えると、抜いてほしんだか抜いてほしくないんだか。
20分後、唐突に医者が現れ、針をさっさと抜き始めた。そして唐突に右手に一瞬、神経をグリグリと何かされたような嫌な痛み。終わった。
一週間分の漢方薬も貰って700元。健康保険があればもう少し安いらしいが、漢方薬の量を考えると結構サービスしてくれたようだ。
効果は直ぐに出るから良い。前かがみになってもほとんど痛みは感じない。
医者が言うには、最大の原因は運動不足、背中の筋肉が硬くなってるのだ。私は帰りにジャージを買って明日の朝から運動することにした、

2013年3月2日土曜日

女と親父さんの病院へ行く。病院に行くたびに親父さんは痩せていたが、今日は前と変わった印象はない。痩せる限界が来たんだろう。
今日は妙に元気そうだ。元気そうだ。妙に。
いつもは喋るのも苦痛なので、ちょっとしたジェスチャーしかしないのに、私にすまないねぇなどと言葉を掛けた。更に書くものをよこせと言い、今は時期が悪いから元は買うなとか、プラチナの結婚指輪を買ったほうがいいとか色々と言い出した。
前は小便をする時はベッドの横の簡易便器に座ってしていたが、今日は豪快に立ちションだ。お陰で何回も女は床にこぼれた小便の掃除をするは目になった。
いつもはどれだけ進めても何も食べないのだが、今日は自分から梨が喰いたいと言い出し、いつもに比べれば豪快に食べた。といっても普通の人間なら一口か二口の量だったが。
女が私に今日はモルヒネを打ってるのでオカシイと私にそっと教えた。

しばらくすると親父さんは眠った。それから直ぐに生暖かい屁の音がした。これは漏らしたなと私は思った。布団をめくってみると案の定だった。私は女に看護婦を呼ぶよう言った。
看護婦さんに手伝ってもらい後始末。女は何の躊躇いもなく親父さんの汚れた尻を拭いた。
尻を拭く以外の事は、私も手伝い看護婦さんと三人でオムツを履かした。オムツを履かしてる時にも親父さんはクソを漏らしていた。それをみて女は看護婦さんと笑っていたので、私は少し安心した。

2013年3月1日金曜日

今日は祝日と週末に挟まれているので、本来は何でもない日なのだが、ほとんどの会社は休みになる。らしい。日本だとせいぜい有給取得推奨日程度だろうが、普通に休み。女も休みだ。
女がネットを新しい会社に切り替えるので、今のネットを解約しに行くと言い出した。今はケーブルテレビとネットのセットだ。テレビをふたりとも見ない。
周辺機器を全部取り外して直接持って行って解約処理をしなければならない。あと兄貴が契約したので、兄貴の身分証明書のコピー等アホみたいにいるものが多いので、その手配だけで午前が終わった。
原付でケーブルテレビの会社へ。結構な数の人間が並んでいる。
あと少しでと言う所で女がどうやら印鑑が必要だと、他の人を見て気がついた。そう台湾にもこのクソ面倒くさい習慣がしっかりと根づいてやがる。
そこらで買ってくるとでていき、私は一人でずっとKindleで三国志を読んでいた。
結局全て終わった頃には5時近く、本当は私のビザ―居留証を受け取りに行くはずだったが時間切れだ。月曜日にでも取りに行けばいい。