2014年12月28日日曜日

年末

 12月には入り、日本語教室はすべて終了。再開は年明け後だ。つまりラオポーは何もやることがない。
 授業がなくても、教科書を見て毎日勉強すればいいんだが、全く勉強をしていない。
 ラオポーはもともと勉強する習慣がないプラス地味な勉強が嫌いなタイプだ。だが言語の勉強はド地味な勉強方法が一番効果がある。本当に百回くらいそのことをラオポーに説明して納得させたが、ダメだ。
 たまに怒って、勉強させても3日も続かない。日本語が喋れるようにはならないだろう。困った。
 久しぶりに友達と会うことになり、出かけるとラオポーに伝えた。何時に帰ってくるかというので、5時か6時だと答えた。
 すると3時に帰って来いという。馬鹿かと。小学生でもそんな時間に帰って来いと言われなかった。
 なんでそんなに早く帰って来ないといけなんだと聞くと、明日も仕事があるしという。6時に帰ってきても明日の仕事には影響はない。
 アホかと結局、五時過ぎに帰った。

2014年12月19日金曜日

 台湾では基本的には雪は降らない。(降るには降るが富士山より高い山の上だけだ。)だからラオポーは―といより台湾人一般は―雪を見ると大興奮だ。  そして、昨日の記録的な大雪だ。降りだすとちょこちょこ外を見て雪だ、雪だと大騒ぎ。  私は今、雪が降るとものすごく困る仕事なので、降れば降るほど私のテンションは下がる。  何でテンションが低いの-!!と騒ぎが止まらない。  そして朝、目覚めると銀世界。たまたま会社が休みの日だったので助かったが、出勤日だったらと思うとゾッとする。  すぐにラオポーを起こしてやる。外を見ると大騒ぎだが、朝は弱いのですぐに寝てしまう。三時間後にやっと起き、雪だるまを作ると息巻いている。しょうがないので近くを散歩。ちょうど良い空き地があった。ラオポーは雪にダイビング。  そこで雪だるまを作ることにした。よーしとラオポーは雪を掴んでは積み重ねていく。当たり前だが雪を転がして作るということを知らない。とりあえず作り方を教えてやると、楽しそうに雪だるまを作っていた。

 

2014年12月13日土曜日

鉄板ネタ

 外人にうける鉄板ネタは、クリスマスにフライドチキンを喰うと教えてやればいい。最初、きょとんと何でと聞かれて七面鳥を喰う代わりだと答えると、大爆笑まちがいなし、だ。
 もう一つは日本にも共産党があるというと、これもうける。
 ラオポーもニュースを日本語がわからないなりにもニュースを見る。選挙のニュースで共産党の話題がどうのこうの出てきた。
 するとラオポーが「えっ!共産党?あの共産党?」と聞く。中国の共産党そのものではないが、一応共産主義者の党だ、と答えた。
 そして共産党の議員がいると知ると、誰が投票するんだと私に聞く。
 私は知らないと答えた。
 

2014年12月4日木曜日

授業参観

 新しい仕事が始まるまで少し間がある。そこでラオポーの通ってる日本語教室を見に行くことにした。
 そこはボランティアが運営す団体で、ボランティアの先生が外国人に日本語を教えている。普通の日本語学校の授業料は半年で数十万円とかだ。出稼ぎに来てるような連中には払える金額ではない。それでこんなほとんどタダの日本語教室ってのが結構そこら中にある。ラオポーは3つの教室に通っている。
 どんなもんかラオポーを送ってやるついでに見に行ってみることした。 そこは名古屋市が管理している施設の部屋を借りて毎週、日本語教室をやってる。
 行ってみるとワンフロア貸しきりで、10人位のグループに別れそこらじゅうで授業をしている。軽く100人以上はいるようだ。
 私とラオポーは遅れて行ったので、10分ほど遅刻だ。私はラオポーを教室の入口まで見送った。その後は廊下から覗くように見学させてもらった。
 すると教室の入口にいた、中東系の若い男が私が気になるようで私をチラチラ観ている。多分彼がラオポーにLINEで大好き♡とメッセージを送ってきたトルコ人だろう。
 まぁなんてことはないので無視しておいた。
 授業のレベルはボランティアなので文句は言えないだろうといったレベルだった。まぁ語学の勉強なんて最後は自分の努力次第だ。

新しい仕事

 台湾から帰ってきて仕事を探し始めた頃は寒かったのに、いつの間にか桜が咲き、暑くなり、気がついたらまた寒くなり始めたが、まだ仕事を探していた。
 完全にこんなはずじゃなかったという、笑うに笑えない状態を通り越して、笑っちまうような状態だったが、やっとまともな仕事が見つかった。
 コンビニの配達ドライバーの仕事だ。給料やら労働条件は悪くない。東京にいた時にでかい会社で働いていたが、モンスター上司的なのに当たり酷いストレスだった。まだ働らきはじめてないので、詳しいことは分からないが、人とも関わらないからストレスは少なそうだ。
 色々と考えるとここへ流れつくように、今年の私に起きたことは、流れていたような気がする。タイミングの違いから、しょっぱなタイミング良く紹介された会社に就職することはなく、その後面接を受けまくるが一向に仕事は決まらない。
 金が尽きて土方をやり始める。行った先の現場で4tトラックを運転するハメになる。私は大型免許を持ってるが、もう10年はトラックどころかミッションの車を運転してない。
 エンストしまくり、そこら中ぶつけまくるが、二ヶ月もすると普通にミッションのトラックの運転を思い出した。そして職探しの幅を広げることが出来た。
 職場は名古屋市郊外のクソド田舎にあり、公共交通機関などない。通うために中古のスーパーカブ50を買った。14年前の製造で外見は汚いが2000キロ程度しか走ってない。
 それにダックテールのヘルメットもかった。そして防寒着にM65フィールドジャケットも。
 部隊にいた時に、自衛隊もこのM65フィールドジャケットを元にした防寒着を採用していて、冬はいつも着ていた、いつもだ。名古屋の寒さくらいなら防いでくれるだろう。
 こいつを着て、カブに乗って毎日10キロの道を通勤する。30分程度で家に帰れるのは悪くない。

2014年11月29日土曜日

餃子

 仕事の面接に行った帰り、何故かついてきたラオポーが腹が減ったとうので、家の近所に喰いに行くことにする。
 どこにいこうかと迷っていると、餃子の看板が目に入る。この辺りで有名な餃子専門店だ。行ったことないからちょうどいいと思い入る。
 平日の昼時、客はほぼ満員、レジの近くには有名人のサインが何枚かはられている。誰のかは分からないが、何枚かは中日の選手のようだ。なるほどウマそうな店のサインがいくつかある、悪くない。
 ラオポーがメニューがよくわからないというので、私は餃子定食を2つ頼んだ。
 この店は餃子50個(女だったら40個)を30分以内に食べれられたら無料というのやってる。壁には成功者の写真がズラリ。ラオポーは美味かったら今度来て挑戦すると、大乗り気だ。
 そして餃子やって来た。不味い、酷く不味い。
 ラオポーはほとんど食べず、私が不味い餃子をほとんど食べるハメになる。
 帰り道、せっかくのデートだったのに不味い餃子にめちゃくちゃにされたと、ラオポーは泣きだした。

紅葉狩り

 紅葉。ラオポーにとって桜と匹敵するくらい重要なイベントだ。
 台湾にも紅葉はあるが、山奥に行かないと見れないし、日本ほど綺麗ではないらしい。
 それで秋になってからずっと紅葉紅葉と騒いでいる。名古屋で紅葉を見に行くといえば香嵐渓だ。朝っぱらから豊田市に車を走らせる。
 大渋滞。一時間ほど余計に時間がかかるが到着。人だらけ。うんざり。
 私は元来、紅葉をわざわざ見に行ったことがない。無論綺麗だと思うが、さっと見れば気が済む。ラオポーは写真を撮りまくって「綺麗ねぇ~」を連発してる。私があまりにもさっさと歩いて行くので、途中でキレられる。
 昼過ぎくらいまで香嵐渓で過ごす、もう一箇所観たいというので、白鳥庭園に連れて行くことにする。ライトアップもしているのでちょうどいいだろう。
 私も白鳥庭園は初めてだったが、美しい場所だった。勿論ラオポーのテンションはマックス。私も何枚か写真を撮った。

2014年11月26日水曜日

石油ストーブではしゃぐ

 私とラオポーが実家に帰ってきたから、暖房器具が足りなくなった。
 親父が自分の部屋のファンヒーターをくれたが、それも悪いので暖房器具を買うことにした。
 東京で一人で暮らしていた時に、ある時期どうしても石油ストーブが欲しかったが、当時石油を買いに行く手段が徒歩しか無かったので、諦めたことがある。そういえばその頃は震災のすぐ後で、輪番停電を連続で喰らって、5時間以上布団でくるまっている日々だった。いっちょ石油ストーブかってやろうじゃないか。
 台湾育ちのラオポーは石油ストーブどころか暖房器具一般に馴染みがない。まぁ台湾の冬もそれなりに寒いので、電気ヒーター的なものは売られているには売られているが、一般的に暖房器具がない家庭のほうが圧倒的に多い。石油ストーブも売られているには売られているが、日系の高級デパートにあるくらいだ。
 近所のリサイクルショップにラオポーと出かける。品揃えをみる限り完全に出遅れたようだ。暖房器具のコーナーに置かれているのはほとんどが、ガスヒーターだ。だが一台だけ石油ストーブがあった。四年ほど前の型だが、かなりきれいな状態だ。値札には6000円。悪くない。
 ラオポーは暖房器具に対し全く知識がないので、矢継ぎ早に頓珍漢な質問を浴びせてくる。私はNexus7で石油ストーブをどうやって使うのかを画像で見せてやる。焼き芋が作れて、電気代が掛からないというと、ラオポーは即決。石油ストーブを買う。
 久しぶりに灯油を買い、石油ストーブに火を入れる。懐かしい匂いと音。しばらくすると、あの暖かさ。最後に石油ストーブを使ったのはいつだ?まだ部隊にいた時だ。クソッタレ、懐かしい。
 ラオポーは早速、芋を銀紙で包んでいる。焼きあがると写真を撮りまくってFBに上げる。生まれて初めての石油ストーブにはしゃぐ。
 それを見ていた親父がわざわざ向かいのコンビニまで、餅と網を買いに行き餅も焼いてみろとけしかけている。
 だが結局、餅は焼かずに、FBのフレンドにみかんを焼いてみろと言われ、みかんを焼いている。
 そうやって食べる地方もあるらしい。湯気の出るみかんを食べると、大昔に食べてことがある気がする。いつだろうか。
 

2014年11月19日水曜日

 今日、ラオポーは近所のカフェでコーヒーを飲んで、午後は一人でイオン巡り。
 なぜかえびせんべいを買って帰ってきた。
 私は相変わらず仕事が決まらず、日雇いの土木作業で、倦んでいる。あがいている。いつの間にか、もう冬だ。
 今までの人生で最悪の状況だ、だがラオポーは文句も言わず、気軽に暮らしている。それだけが今の生活で救いだ。

2014年11月14日金曜日

ラオポーがずっと「だめよーだめよーだめだめよー」とずっと言っている。
どこで覚えたんだか。
亜流とはいえまともにテレビをみない外国人にまで広まっているのだから、この流行はほんものかもしれない。

トルコ人

相変わらずトルコ人はラオポーを口説いてるらしい。
犬山に紅葉を見に行こうと必死に誘ってる。二人きりで。
なんかしてやろうか。

2014年11月3日月曜日

トルコ人

 家に帰るとラオポーが秘密の話を聞きたい?ときた。この秘密の話はラオポーの口癖で、とくに意味は無い。10回中9回は他愛もない話だ。
 興味がない素振りだと、また、うるさい。かと言って聞いても他愛もない話なのだが、まぁとにかく最後には興味がある素振りで聞くしかない。
 ラオポーの話は所謂”女の話”そのもののだ。あっちこっちに飛んで、話さなくていいことを話し、論点がずれ、長々と話した後、結末がない。
 今回の秘密の話もそうだった。
 今日、日本語教室のクラスメイトたちと飯を食いに行った。ラオポーと中国人の女二人(29才と37才)全員既婚者だ。 それに西アフリカ人の男とトルコ人の男19才。
 飯を西アフリカ人の男がおごると言い出してどうのこうのという完全に不要なクダリが終わり、話は一応核心部分へ。トルコ人に年齢を聞かれ三人が答えたが、ラオポーが31才と言っても信じないらしい。あまりにも信じないので身分証明証を見せてやっと納得したらしい。トルコ人は自分と同じ位の年代だと思っていたらしい。
 まぁなんの秘密の要素もない話で、ラオポーは大分若く見えるのでこんなエピソードは事欠かない。どこが秘密の話なんだと聞くと、10代に見られたことだという。
 それはそうと、それからトルコ人はラオポーをかなり気に入った様子で、飯食った後にFacebookに載せるので写真を一緒に撮らせてくれとか色々やり取りがあったようだ。そのあとFacebookで友達同士になったみたいだ。
 その夜にはFacebookのメッセージで『大好き♡』とメッセージが送られてきたと言っていた。なかなかの敢闘精神ではないか。
 ラオポーはそのメッセージはガン無視したようだ。
 だが教室で会うたびに、話しかけてくるみたいだ。ある日にはジャッキー・チェンが好きなんだと話すので、夫がジャッキー・チェンが大好きだと答えたら、トルコ人は意気消沈、黙ってしまったようだ。

面接

 面接に行く。ラオポーもついてくる。場所が大須という名古屋の有名な商店街の近くなので、私が面接している間、適当にまって店を回ってまってるつもりらしい。
 中国語が喋れる人歓迎と書いてあったが、面接の前に、面接者全員中国語の作文を書かされた。どうやら必須だったようだ。
 私を含めて四人の面接者がいたのだが、そのうちの一人が台湾人だった。私は待ち時間に彼に話しかけてみた。私の女房も台湾人だと、と。
 すると適当に話が弾み、ラオポーに名古屋に住んでる何人かの台湾人の友達を紹介していくれることになった。
 これで面接に落ちても来たかいがあった。

ベッド

 母がラオポーを近くのリサイクルショップに連れて行ったらしい。今現在わたしたちが暮らしてる部屋には家具が足りてない。足りてない。
 一番はタンスだ。とりあえずホームセンターでかったひとつ500円のボックスに服を放り込んでる。
 二番はベッド。今は布団で寝てるが、やはり台湾人には布団で寝る習慣がない。ベッドがないなど耐えられないらしい。
 それでリサイクルショップでベッドを見てから、ラオポーの頭はベッド一色だ。
 休日にラオポーと母とわたしとでリサイクルショップ巡り。丸一日ベッドを見て過ごす。ホームセンターによった時には、木を購入して自分たちでつくろうとまで言い出した。完全に、クソッタレ、完全に迷走している。
 その日はとりあえず何も帰らず帰った。
 次の日、家に帰ると、ラオポーがメジャーをもって部屋をウロウロ。私に一日中ベッドの事を考えていたと言う。
 ネットで色々な家具店のサイトを調べ一日じゅう過ごしていたらしい。
 私もラオポーに言われネットで永遠とベッドの値段を調べる。が、結局リサイクルショップで買ったほうがやはり、一番マシだという結論にたどり着く。
 次の日、リサイクルショップにベッドを買いにいく。セミダブルベッドとそこそこでかいタンスを買う。合計で5万くらい。一見中古には見えないので、悪くない買い物だった。これでベッド問題は解決だ。

2014年10月19日日曜日

歯医者

 二回目の歯医者。母親に歯医者にラオポーの状況を伝えてもらう。
 ラオポーの話によると、医者はブツブツ、知らない、とか分からないと言いながら治療をしていたらしい。医者が怒っていたのでかなり雑に治療されたと、ラオポーは怒ってる。
 面倒くさい。

歯医者

 家に帰ってくるとラオポーが母と歯医者に行ってきたと報告。週明けにいくと行っていたので、土日に母親にラオポーの歯の状態を詳しく教えておくつもりだったのだが、行ってしまったらしい。
 ラオポーの話を聞くと案の定、問題発生だ。
 ラオポーは台湾で歯の神経を抜いた。その後、まだ処置が残っていたのだが、ラオポーは歯医者が怖くなり、行くのをやめてしまい、治療が途中で止まってしまった。
 日本に来る直前、それを思い出し、続きの治療にいったのだが、医者のスケジュールがいっぱいで治療してもらえなかった。ずっと処置をしなかったので細菌がたまっているから日本に行って、根管治療をするようにと台湾の医者から言われていた。
 今回、それを伝えきれず、医者はレントゲンを撮って問題ないから、このまま塞ぐことになったらしい。
 週明けに行く予定をなぜ、急に変えたのかと、ラオポーと喧嘩になる。くだらない事だが、なんだかんだと大喧嘩に発展、酷く疲れた。
 とりあえず、次行く時に母親にまた最近の事と治療の途中であることをキッチリ伝えてもらうことになった。

ビザ取得

 入国管理局へはラオポーと母親だけで行った。私はバイトへ。
 ラオポーは4000円の収入印紙と引き換えに、一年間のビザを手に入れた。その後は区役所に行って、やっと転入届をだせた。これで健康保険にも入れた。
 あとはラオポーを歯医者に連れて行けば、当面の目の前にあった問題は大体片がつく。だいたいね。

入国管理局

 家に帰ってくると、ラオポーが見せたいものがると私をすぐに部屋に来るように言い、二階の部屋に上がっていった。
 クソッタレ!!名刺は全部、道端に捨てたのに、死ぬほど酔っぱらっていたから、一枚か二枚かばんに残ってたのかもしれない。だが、とくにメッセージが書いたのとか無かったからなんとで誤魔化せるだろうと部屋に入った。
 ラオポーは一枚のハガキを私に見せた。入国管理局からのハガキだ。このハガキが来たということはビザの許可が降りたということだ。あとは期日以内にこのハガキを持っていれば、いいだけだ。
 やっと一段落だ。一段落だけだが。

付箋紙

 うちの母は時折、すごくマメになる。
 シンガポールの留学生のジャンにラオポーがどう日本語を勉強したらいいか聞いている。新しい教科書を見せてどうのこうのいっている。知らない単語が多くて授業についていけないと言っている。解決策はただひとつ、単語を覚えるしかない。言語を学ぶときは、初期の段階はひたすら地味な努力が必要だ。
 ラオポーは基本的に勉強嫌い。なので、ギャーギャー言っている。
 それを聞いていた母が、とりあえず身の回りの物からと、家にあるものに片っ端から付箋紙にひらがなと漢字とカタカナを書いて貼りまくった。ここまでさせたのだから覚えなければならないのだが。
 それから二週間ほどたったがおぼえているのかどうか。

お麩

 味噌汁にお麩が入っていた。母がシンガポール人の留学生のジャンにお麩はシンガポールにもあるかと聞いた。
 ジャンはかなりの世間知らずだ。こと食い物に関してまともな回答を聞いたことがない。中華圏のヤングオタクはこんなものなのかもしれないが。
 お麩に関しても、見たこともないという回答。するとラオポーがすかさずこれは、フランス料理のスープとかにはいってる、フランパンの小さいやつだと解説。

2014年10月13日月曜日

餅投げ

 近所の神社で餅投げのイベントがあった。台風なのに。
 母はラオポーに色々と日本の事を経験させてやりたいので連れて行く。私は台風なので行きたくなかったが、行く羽目に。
 雨は降ったり、やんだりだがラオポーには、私が仕事で使っているカッパを着せてやる。ラオポーは恥ずかしがっていたが、脱ぐつもりはないようだ。そして私の斜めがけのボディーバッグを身体の前にかけた。やる気満々だ。(見ず知らずのおばさんにこのアイディアは褒められたらしい)
 台風だが神社には100人以上の人間が集まっていた。だが台風の影響で人はいつもの半分くらいだ。私はガキの頃から人の浅ましさを垣間見るこのイベントは嫌いで、始まると冷めてしまい、だいたい何も取らずに帰ってしまう。今回も荷物持ち係と撮影係だ。
 糞だるいしまらない神主の挨拶のあと(怪我しても責任は一切取らないという宣言)、餅投げが始まった。餅に群がる人々、雨、太鼓の音。混乱。
 遠くからオレンジのカッパのラオポーが翻弄されているのがわかる。五分かそこらで終わった。
 ラオポーは七個ほど餅を拾えたらしい。だが日本人の意外な攻撃性にビビっている。まさか見かけ温厚なおばさんが餅ごときにあんな暴力性を発揮するとは思っていなかったらしい。
 また一人一際クレイジーなおばさんが近くにいたようだ。普通サイズの餅に混じってたまにビッグサイズの餅が投下される。このビックサイズの争奪戦はかなり危険だ。
ラオポーの近くにもビッグサイズが降ってきた。周りの連中は一気に群がる。その餅にクレイジーおばさんが突撃、餅の上に覆いかぶさり、これは私のだー!と叫んだ。これには周囲の人間もドン引き。ラオポーは心底ビビったらしい。

2014年10月8日水曜日

 バイトから帰ってくると7時。ラオポーが日本語教室から帰ってきてない。8時になっても帰ってきてない。いつもなら夕方には帰って来てる。携帯電話は忘れていっている。
 流石に心配して待っていると、ラオポーが息を弾ませて帰ってきた。
 日本語教室で新しく知り合った中国人の女の子が、日本に来たばかりで授業後、質問攻めにされ遅くなったということだった。路上で3時間話していたらしい。
 私はこれだけ遅くなるなら電話しろ、携帯電話がないなら公衆電話を使え、家の電話番号くらいは覚えるか手帳にメモるかしておけと説教。
 ラオポーはグダグダ言い訳していたが、渋々わかったと謝った。
 

また、入国管理局

 残り二ヶ月。ラオポーが日本に滞在できる期間だ。仕事もすぐに見つかりそうにないので、バイト先の会社に在職証明書をもらえないか聞いたらすぐにくれた。
 これに両親の年金の金額をつけて再申請することにした。ラオポーを最低限、養っていくには十分な証明だろう。たぶん。
 バイトを休み、ラオポーと一緒に入国管理局へ。30分位ならび、再申請。2週間から一ヶ月で審査が終わる。

2014年9月25日木曜日

日本語教室

 9月に入り色々と動き始めた。
 ラオポーは日本語教室に通い始めることになった。ボランティアがやってるほぼタダ同然の週に一回の教室だ。名古屋じゃ結構そんな日本語教室が多くあり、ラオポーは週に二回別々の教室通うことになった。
 今日は母に連れられて、教室に行った。とりあえず一番初級のクラスにはいったが、流石に簡単過ぎるらしい。それで次の週に一個上のレベルのクラスに入ることになった。
 クラスには中国人二人、タイ人、インドネシア人、オーストラリア人なんかがいるらしい。
 中国人はふたりとも女でアラフォーくらいの年代。だが一人は貧乏、一人は金持ち。金持ちは、貧乏を馬鹿にしてる感じで話掛けもしない感じ。貧乏人の田舎者と小成金じゃ話が合わないんだろう。笑えるね。
 金持ちは3年位日本に住んでるが、日本語は初心者レベル。中国語が通じて、話も合うと思ったのかラオポーを授業後にさそって、デパートに一緒に行った。そこでラオポーに私はとにかくブランドが大好きで大好きで堪らない、という話をした。だが、大好きなシャネルやルイ・ビトンが有名なのは知ってるが、どこの国のブランドなのかは一切知らないらしい。そこでラオポーが教えてやったと呆れ顔。
 台湾人の一般的な中国人に対するイメージは、マナーをしらない田舎者の貧乏人か成金。そして巻き舌気味の中国人の訛りを徹底的に馬鹿にしてる。
 ラオポーも帰ってきてから、私に彼女らの話し方を真似して散々バカにして、さらにLINEで台湾の友達に電話で真似してバカにしていた。
 とは言え、お互いLINEのID何かを教えあって、一応友達にはなったらしい。

留学生 来たる

 うちの母はボランティア好きで、色々やってる。その内の一つに留学生のホームステイがある。近所の大学の短期留学をしてる留学生を受け入れている。
 そして9月からまた新しい留学生がやって来る。事前に来た資料によると22歳のシンガポール人の男だ。
 私がバイトでクタクタになって帰ってくると、母とラオポーが中部国際空港に迎えに行くという。ラオポーが一緒に行くというので、死んでも嫌だと断る。クタクタだ。
 資料を見てオタクっぽいやつだなぁと思っていたが、やって来たのはやっぱりアニメ好きのオタクだった。
 これでいえのなかで、さらに中国語が飛び交うことになる。実際にそうなったが。

2014年9月15日月曜日

 バイトを始めた。5時に起き、母親が作った弁当を持ち、工事現場で土方をやる。母親の弁当など高校以来。
 ラオポーは朝がとっても弱いので、起きることなど不可能。私が出かけるときも、勿論寝ている。
 7時半か8時くらいに起きだし、一日掃除したり、日本語の勉強をしたり、YouTubeみたりしてすごしているらしい。

2014年8月31日日曜日

 とりあえずそこら中に履歴書をばらまきながら、バイトも探すことにした。
 職探ししながらバイトなので、かなり融通が効くのじゃないとダメだ。で、近所の土建屋で日雇いに近いバイトがあったので、面接に行ってみる。すると当日以外なら言ってもらえれば大丈夫という。小さな会社だが、面接してくれた工事部長の肩書のオッサンは良い人そうなので、バイトすることにする。
 帰ってきてラオポーに報告すると、そこで正社員で働けばと適当な回答が返って来た。ちょっと前はデスクワーク以外はやめろとうるさかったのに。
 もともとこっちの方が性にはあってのるのかもしれないので、悪くないかもしれないが。

仕事探し

 脈がありそうな面接だったが、妙に引き伸ばされ、イラついている。
 不採用なら不採用とさっさと教えてくれればいいのに。
 イラついているとラオポーは、妙に優しく私のマッサージを始めた。そして小さな変な会社だから不採用の方が良いよと笑って、私にへばりついてしばらく離れなかった。
 それで私も落ち着いた。それでとりあえずバイトでも探して、ラオポーのビザ書換えの再申請だけでもできるようにすることにした。
 

Email

 家の家庭は留学生を定期的にホームステイさせている。私が帰ってきた時も韓国の女の子が留学していた。
 9月からシンガポールの男の子がホームステイにくる。事前に履歴書というか本人が書いた資料が来るのだが、英語で書かれていた。ラオポーはそれを見て、自分より日本語は出来ないようだと思っていた。
 今日、母親宛にその留学生からEmailが届いた。長文の日本語で、内容は挨拶や飛行機の時間などだった。そのEmailを見てチンプンカンプンのラオポーは愕然。ちょっと上から目線くらいのつもりだったので慌てている。慌てる必要は全くないのだが。

2014年8月22日金曜日

 図書館で本を借りたいとラオポーが騒ぎ出した。日本語も読めないくせに何を言ってるんだ。
 借りたいのは、リフォーム工事を自分でやる本だ。どうも部屋の壁紙を全部、自分たちの手で張り替えるつもりだ。
 名古屋の全図書館はすべてネットでつながっており、ネット上でどの図書館の本でも予約でき、最寄りの図書館に本を送ってくれる。なので大概の本は借りられる。
 幾つかそれっぽいのを検索し、予約する。
 三日後に本が届いたとメール連絡が来たので取りに行く。その日の夜はずっとそのリフォーム関係の本を読んで、どう部屋を帰るか想像しているみたいだ。話しかけると忙しいと言って、日本語の勉強をする気もないらしい。
 ラオポーの一日の始まりは遅い、最近特に遅くなった。10時位まで寝ていて、一回起きてくるが、母がいないとそこから昼間で二度寝する。
 で、母がだいたい昼くらいに帰ってきたりすると、起きだして母がつくった昼食を食う。
 めしを食って、なんかグダグダしてるので、日本語の勉強をしろというと、忙しいとずっとiPadをいじっている。
 ほっておくともう夜だ。夜、一時間位、ぬるい感じで日本語を勉強して、もう寝る時間だ。

入国管理局 みたび

 入国管理局へドライブ。三度目だ。ラオポーと母親も一緒。
 入国管理局に何か問い合わせるときは、電話するより、直接行く方が良い。何回か色々と電話で問い合わせたことがあるが、その度に間違っていたり、要領を得ないやりとりで時間を浪費した。直接行くと何故かスッキリ解決する。担当者との巡り合わせ、単なる運なんだろうが、とにかく、名古屋入国管理局へ。
 私は、この申請がダメでもう一度国外へ出てやり直せと言われたら、面倒くさすぎてゲロを吐き散らしそうだ。イラついている。
 1階に窓口があり、ここで何をしに来たか伝えると、どの窓口に何を持っていけば良いか教えてくれる。この受付にいるのは、ほとんど外国人の職員だ。
 私が申請が不許可になったので来たと伝えると、この相談も仕込み書を書いて二階の1番にいけと言われた。
 二階はクソ広いカウンターに各種申請の受付、そとには大繁盛のローソン、ローソンの中の証明写真機は二台あり、両方に人が並んでいる。
 相談の受付には、外国人たちが下手くそな日本語で色々と相談してる。しばらく待たされる。私はイラツイていたが、ラオポーはのんきなもんだ。私にあの女を見て!!整形の化け物よ!!と耳打ちする。こんな時になんだと見たら、何ってこった、あの鼻はマイケル・ジャクソンじゃねぇか!
 順番が来て、不許可の理由を尋ねると、私が無職なのがまずいという。何か職を見つけて、在職証明書と両親と住んでいるので、両親の所得がわかるものをつけて、再申請すれば問題無いという。
 理由が一点だけだったので、なんとかなりそうだ。不許可の書類にはもう一個理由がありそうだったので心配していたが。なんとかなる状況だ。
 再申請の書類をもらい、家に帰る。
 

2014年8月16日土曜日

入国管理局

 母の実家から帰る。ラオポーは婆ちゃんの畑からネギと土を貰ってきた、家の庭に植えるつもりだ。  また4時間のドライブを経て家に帰ると、入国管理局から郵便物が届いているらしい、どうやら私本人でないと受け取れないらしい。  私は自転車に乗ると郵便局へ。自転車に乗りながらふと思いだす、受付のねぇちゃんは確か審査が終われば、取りに来いというハガキを送ると言っていた。ハガキなら私の家のポストに放り込んでくれる筈だ。  これは嫌な予感がすると思いながら、郵便局へ到着。郵便物は封書だ、くそったれ。受け取ってすぐに風を開ける、紙が二枚。  一枚目には通知書と書いてある、その下に審査の結果、申請は不許可と書いてある。理由は私の扶、養能力に疑問があると書いてある、確かに無職なので文句は言えない。  家に帰って報告。中国語の文書も入っていたのでラオポーに見せる。再申請はできるのでなんとかなるだろう、多分。という感じだ。  親父は結婚して、親とも同居してるんだから問題ないだろうと、ちょっとキレ気味だ。明日、入国管理局に相談しにいくことになった。

牛乳

 朝起きると、何もやることがない。なのでラオポーが好きな牛乳を買いに行くことにする。牧成舎というこのあたりの有名な会社があり、そこの白の命という瓶入りの牛乳がメタクソ美味い、らしい。私は牛乳が嫌いなので飲まないのでしらない、が飲んだ人間はみんな美味いと言っている。  町中まで行って、売店を探す、だがみつからない。人に聞くと売店の方はやめたらしい。工場がすぐ近くにあるので、工場へ。工場には直売店が併設されている。  牛乳を注文する、売店のおばちゃんはすごい丁寧で親切だ、冷蔵庫の中に在庫があるのにわざわざ工場に出来たてを取りに行ってくれた。  ついでに一個20円の傷物のヨーグルトを20個位買う。もとは90円だ。こいつは食ったがかなり美味い。  母がソフトクリームも売ってるのを見つけた。ラオポーにきくと高いのでいらないという。350円だ。母がせっかくhなので一個だけ注文。ラオポーが口に入れると表情が変わった。私が洒落でバクバクと食うと本気で切れた。

帰省

 お盆なので母の実家に行くことになった。父は色々と忙しいので、母と私とラオポーで。  ラオポーは過去に3回ほど連れて行ったことがある。ある。場所は岐阜県の飛騨市。飛騨市だ。ラオポーはこの地域の食いもんと相当、相性が良いらしく、食いもんが世界で一番うまいと言っている。母の実家の前にある何の変哲もないたこ焼きとみたらし団子屋ですら、大好きで日本で一番うまいたこ焼き屋だと本気で言っている。  なので、日本に来てからいつ行くのか、いつ行くのかとずっとせっつかれていたが、やっと連れて行けることになり、喜んでいる。  昼ごろに車で出発、台湾に行ってからほぼ運転していなかったので、私のペーパードライバー克服のために私がずっと運転することになった。名古屋からずっと下道で飛騨市まで約4時間。  4時間のドライブでたどり着いたのは避暑地には持ってこいの山の中。涼しい。エアコンが完全に不要なくらいだ。といってもエアコンがない家はないが。湿気もなく、気温も低いので蚊も少ない。特に台湾から来たラオポーにとっては天国みたいなところだ。  ラオポーは無邪気に桃が食べたいとはしゃいでいる。婆ちゃんは寿司をとってくれラオポーはご満悦だ。

洗濯とショートパンツ

 ラオポーが日本に来て以来、洗濯は私の父がしている。下着も含めて。一般的な家庭だと、こういう時洗濯はどうしているのだろう。下着くらいは自分で洗って干したりしそうだが。  ラオポーは風呂にはいるときに洗濯機に放り込む。父が朝5時か6時に起きて洗濯する。ラオポーはそんな時間に起きられない、あさ8時に起きたら珍しい方だ。  ラオポーに下着を洗われて干されて、恥ずかしく無いかと聞いたら、ハズカシーと言いながら笑っているだけなので、別にほっておくことにした。  ラオポーは台湾では暑いのでショートパンツをよく履いていた。日本にももってきたが、これは恥ずかしいので履けないとどこかにしまいこんでいたはずだが、それもいつの間にか気にせずに履いている。

2014年8月10日日曜日

ケーキづくり

 ラオポーは私が勉強しろと言わなければ絶対にやらない。今日はシフォンケーキを作るから忙しいと、ずっとネットをソファーで見てる。
 やっと重い腰を上げて、ケーキを作り出すがよく作り方がわからないようだ。最終的にぺっちゃんこの何かが完成した。
 味は大丈夫だろうと食べたら、衝撃。フワッとした食感が皆無。ベチャッとした何かを口に突っ込まれたような気分。
 飯食ったばっかりなので、あとで食べると言って、逃げる。しばらくすると満足気にソファーで昼寝し始めたので捨てる。
 父が帰ってきたので、ラオポーが早速すすめるが、結局誰も食べなかった。

2014年8月8日金曜日

言語を学ぶ

 ラオポーは基本的に毎日やることがない。やらなければならない事は日本語を勉強して一刻もはやく日常生活に支障がない程度のレベルになることだが、ほとんど勉強してない。
 毎日、私が勉強しろとしつこく言わないとやらない。あとでやる、今は忙しい、暑いから、昼寝してから、くだらない言い訳だけが次から次へと出てくる。まったく母親になった気分だ。
 今日も午前中何もしてないので、昼飯を食ったあとソファーに寝転がっているラオポーに勉強しないつもりかと迫ると、30分後にやりまーすと昼寝を始めた。起きたのは夕方だ。
 国際結婚して一方だけが、相手の言語を喋れる夫婦はもう一方の言語は全く成長しない、というのはよく聞く国際結婚あるあるだ。全くこのパターンに陥りそうだ。
 言語というのは必要に迫られないと成長しない。台湾に何年も駐在しているサラリーマンでも日本語ができる秘書がいたりすると、ニーハオくらいしか喋れないという人も実際に多くみた。ラオポーは今24時間通訳が付いているようなものなので、言語を勉強する環境としては最悪だ。
 それで今日はひとつ規則を作った。ラオポーはよく私にあれとってとか、あれをどうしろとかいろいろ頼むのだが、正しい日本語でなければ無視することにした。すると何もかも自分でやりだした。

2014年8月7日木曜日

妊娠

 ラオポーが妊娠したかも、妊娠したかも、とうるさい。
 根拠は、めちゃくちゃ眠い、とにかく眠い。だるい、たまに吐き気がする。というものだ。タイミング的にただの夏バテだと私は思っているが、よくわからない。
 次の生理がなければ、検査薬を買いに行くか。まぁ何にしてもタイミングが悪い。しょうがないけど。

2014年8月6日水曜日

Good Luck

 昼間、私もラオポーも無職なので基本暇(24時間暇だが)。ひどく暑い昼飯時、ラオポーがささっと昼飯を作り二人で食べる。
 飯を食い終わり、ラオポーがアイスコーヒーを飲みながら、ソファーに体を埋め染み染みと「Good Luck」と言った。私は何と言ったと聞くと確かにGood Luckと言ったという。
 何がどう、Good Luckなのか。

2014年8月5日火曜日

盆踊り

 母が近所で盆踊りがあるというので、らおぽーを連れて行けという。夕方に母がラオポーに浴衣を着せる。ラオポーはテンション高めだ。
 少しだけ雨が降っているが、会場の公園に向かう。地域の団体が主催したようなイベント。伝統性は欠片もない。それでも子供を中心にかなりの人数が集まって、踊っていた。
 夜店も10件以上出ていたが、ラオポーは夜店には全く興味がない。全部高い、不味そうで終わりだ。かと言って盆踊りも踊らないので、浴衣着て散歩に来たようなもんだ。すぐに帰る。
 写真だけ撮りたがるのでバンバン撮るが、暗いのでいまいち。結局、家の前のコンビニの中で撮ると言い出し、コンビニの中で写真を撮って帰ってきた。

2014年8月3日日曜日

 うちの両親は大分変わっている。かなりの放任主義で、生き方に口を出されたことはほぼない。
 なので今回の同居に関しても、一般的な嫁姑問題の発生は心配していなかった。余程の事がないかぎり母がラオポーがどうのこうと口を出すことはないだろう。
 だが、同時に母がラオポーのことをどう思っているかも分からない。全く何も口を出さないので、実際のところ気に入っているかどうかもわからない。親父はこの天然で明るい娘を気に入っている。気に入っている。
 ラオポーは保守的で厳しい台湾人の家庭で育ったので、親という存在に対して、かなり敬意を持っている。両親が外から帰っくると必ずお茶か水をサッと出し、私がぞんざいな口のきき方をすると、意味もわかないのに私を礼儀知らずと叩く。
 うちの家庭は数年前から、留学生をホームステイさせているので、外国人が家の中にいることはなれている。ラオポーは見た目もだいぶ若く、性格も天然で子供っぽいので、両親的には留学生がいるような感覚なのかもしれないが。
 とにかく、ラオポーはこの家に馴染んでいる。
 ラオポーは最近、少し落ち着いたのでやっと日本語の勉強を真面目にやり始める。だがあまり進歩はない。私がしゃべれるのですぐに通訳してしまうのが不味いのだろう。
 言語を学ぶときに上達するコツは困ることだ、困れば困るほど進歩する。
 今日は父に日本語を習いながら「なんで~なんで~、わからん!」を連発していた。

2014年7月30日水曜日

 昼飯を食った後に入国管理局へ。母親が偽装結婚を疑われないように大人数で行ったほうがいいだろうというので、三人で入国管理局へ。
 ラオポーは外国人ばっかりだと天然ぶりを発揮させ、母を笑わせながら、受付の番号をとる。約50人まちだ。
 一時間ほど待たされ順番が来る。申請書の不備を何点か指摘され、その場で修正する。最後に通知のはがきの住所を書かせれ、2週間から4週間で結果が出ると言われて終わり。
 ネットでは(行政書士のサイトだが)、滞在資格変更申請は、最近は難しいと書かれていたので少し不安だが結果を待つしかない。といって行政書士に頼むと8万から20万くらいとられるので、冗談ではない。
 明日、名古屋入国管理局に滞在資格変更申請をしにくのでその準備。今、ラオポーは観光ビザなので、それを配偶者ビザに切り替える、手続きをしにいく。
 これがめんどくさい。偽装結婚でない証明のために、色々細かい事を書類にしなければならない。出会ってから結婚までの経緯や、結婚までに何年何月何日に行き来したとか、あとはスナップ写真などの提出も求められる。
 書類を準備をしているうちになんとなく一日が終わった。
 津島市で有名な祭りをやっているというので、母が祭りに行こう。ラオポーは勿論乗り気なので出発。親父が近くの公民館の管理人のバイトの日なので、置いて三人で行く。
 しかし、酷く暑い、暑い。体力が熱に奪われていく、ろうそくにでもなった気分だ。
 ラオポーは流石、台湾人なので夜店をみて、高すぎる!詐欺だ!と騒ぎながら、楽しそうに写真ばかりとっている。夕方くらいについたが、消耗が激しく夜、メインのイベントが始まる前に帰る。ラオポーも楽しみにしてた花火が思いのほかしょぼかったので、文句も言わなかった。

携帯電話

 昼間、携帯電話を買いに行く。正確にはsimカードだが。台湾にいた時からラオポーのネット、電話の環境は話し合ってきた。あんまり金は掛けられないので、出した結論がこれだ。
 ハードはiPad miniにHTCのAndroid携帯電話(私が台湾で使っていたものだ)。HTCの携帯電話にイオンのb-mobileの音声付きのsimを入れる。iPad miniはHTCのディザリングで運用する。スピードは200kbpsのドンガメだが、LINE、メール、Googlemapくらいなら問題ない。
 そして名古屋郊外のイオンへ。ラオポーはこんな何でもないデパートに異常なほど人がいるとずっと笑っている。結構待たされたがすんなり購入し帰宅。
 カードを指すと画面にはドコモの表示、WOW。問題なく電話が掛けれる。APNの設定し、ネット接続とディザリングも問題なし。
 トラブルもなくあっさりいった。海外の携帯好きな人とかは海外旅行のついでに携帯買ってきて、安いsimカードでも刺したほうが自由で良い。海外のはへんな規制がはいってないから着メロをただのMP3のデータとかにできるし、くだらない事で金がかからない。

2014年7月26日土曜日

来日当日

 来日当日、朝 日本時間8時 台湾時間7時。ラオポーに電話、叩き起こす。朝が極端に弱いので、二三度電話し完全に起こす。最後にはキレられる。
 12時発のフライトだが、それまでにインターネットと保険を解約し、空港に移動しなければならない。空港までの移動距離を考えるとかなりカツカツの予定だ。忙しいので電話するなと言われる。飛行機に乗る直前くらいに電話すると間に合ったようだ。
 台湾を12時に出発すると日本につくのは4時ぐらい。それに合わせて母と空港へ、父も行きたがっていたが用事があるのでパス。
 ゲートで待っているがなかなか出てこない。かなり待つ。税関で何かあったのかと訝しんでると、重そうなカートを押しながらラオポーが出てきた。案の定、税関で荷物を全部ひっくり返されたらしい。荷物が異常に多いので色々疑われた、らしい。荷物を詰め込むために靴の中にお茶の葉とか突っ込んでいたので余計疑われたらしい。
 家についてアホみたいな量の荷物を取り敢えず片付ける。
 ラオポーが来日し、親父が一番嬉しがってるように思える。私には妹がいるが、親父との仲は異常に悪い。ここ何年かまともに口も聞いてないだろう。
 ラオポーは自分から私の親と同居したいと言い出すくらいなので、親に対して愛想が良い。天然で明るいので、妹とは全く正反対だ。日本語はろくに喋れないが、口も聞かない娘よりは可愛いのだろう。ラオポー来るので一番広い自分の部屋まで明け渡してくれた。
 とにかくラオポーが日本にやって来た。

2014年7月24日木曜日

来日前夜(深夜)

 明日、いやもう正確には今日の夕方には、(今は深夜2時9分 私が思う一番深い夜の時間帯だ)私の妻が日本にやって来る。今まで妻のことを、昔の習慣でただ”女”と表記していたが、これからは中国語で妻を意味するラオポーと表記することにした。(勘ぐるほどの意味は無いさ)
 7月24日の深夜2時13分をこのような形で迎えるとは、3月25日の自分は予想していなかった。していなかった。
 当初の計画はこうだった、私はラオポーより数ヶ月先に先乗りして、仕事を探してラオポーを迎え入れる準備万端にする、そしてラオポーは台湾の一切合切を整理して乗り込んでくる。まさか仕事が見つかっていないとは予想外だった。どうもこの数ヶ月運に見放されたようだ。来て直ぐに仕事を紹介してもらったのだが、断らざるをえない状況に陥っていしまった。タイミングが合わなかった。としか言い様がない状況だった。 グダグダ言ってもしょうがないので、毎日が日曜日を楽しんでいる状況だ。
 来日を明日に控え、ラオポーは今も荷造り中だ。さっき台湾の飛行機が爆発したというニュースを見て怖いので乗りたくないとで騒いでいたのを、やっとなだめて荷造りを再開させた。
 台湾は今日は台風直撃で、サービス業以外の会社は休みだ。ラオポーは今日、ネットと保険の解約をやる予定だったが出来なかった。結局、出発の朝にヤラざる得ない。だが飛行機のフライト時間は12時00分。
 間に合うのかと聞いたら、間に合わなくても間に合うと訳の分からない回答が帰ってきただけだった。まぁ無事間に合うことを祈ろう。
 深夜2時37分 そろそろ3時が近づいて来た。3時には朝の気配がある。もうそろそろ眠るとしよう。明日の朝にはラオポーを叩き起こさなければならないだろう。

2014年6月4日水曜日

帰国

結局のところ、私は2014年3月25日に日本に帰ってきた。
女はまだ台湾にいる、別居状態だ。が、一時的なことだ。女は税金の処理などをするために台湾に残り、私は一足早く日本に引っ越しした。女も7月の末には日本に引っ越してくる予定だ。
引っ越してくれば、私の実家で両親と共に共同生活が始まる。
このブログのタイトルは台湾移住記だ、タイトル通りならもうここで書くことはないのだが、台湾人の女が日本でどう暮らしていくかを引き続き書いて行きたいと思う。タイトルは変えることになるが。

2014年1月27日月曜日

友達の子供が集中治療室に運び込まれたと連絡があったのは数日前。休みなのでお見舞いに行くことになった。
その子供は―4歳になるが―未熟児で生まれて、ずっと体が弱い。白くて小さくて、やわい。真夏にあった時も真っ白だった。外で遊んでないようだし、私はこのガキを見るたびにこのまま行けば不健康なまま大人になり50歳くらいで死ぬんだろうと思い、可哀想になる。
そして今は、日に三回しかお見舞いに入れない集中治療室で、口と尿道にチューブを突っ込まれて、喋ることもできずにいる。原因は検査中だ。
女が喋ってとかすかに頷く、女がオジサンも来てくれたよ、嬉しいと聞く。私のこのガキと少しだけ遊んでやったことがあるくらいで、全然仲も良くないので、心の中で舌打ちした。案の定、ガキは頷きもしなかった。
結婚してから1年が経った。経った。
結婚記念日だが何もしなかった。
仕事が終わり、駅に向かいに来た女に私が、結婚記念日だし外で食事をするのかと聞いたら、もう用意してあると、言われた。
続けてプレゼントも買ってないと避難されたが、それはお互い様だ、男が買うもんだ、一日50元しか小遣いがないのに何を買えるとやってる内に家につき、何故か普段よりも雑な晩飯を喰って、セックスもしないで寝た。寝た
週末お母さんが来る。私に遠慮してあまり来ないんだが、たまに来て泊まっていく。もっと遠慮して欲しんだが、しょうがない。
今回は大掃除をやるので、孫同伴だ。今台湾は、というか旧暦で正月を祝う国はどこでもだが、ド年末だ。
だがお母さんが、こっち来る理由はそれだけではない。娘に愚痴りにたいのだ。家事をしない嫁のことを。
私の義理の姉は、一切家事をしない。たまに皿を洗うくらいだという。買い物、料理、洗濯、掃除一切やらない。義兄が全てやる。もしくはそれを見かねてお母さんがやる。
義兄は特にそれについて不満を言ってないので、私は別に良いと思うのだが、自分の息子がずーと家事をやってるのが、特に保守的なお母さんは気に食わないのだろう。
かと言って私と女の家に来ると、女がずっと家事をしている。私もたまには手伝うが、ほとんど手伝わない。
それはそれでムカつくので、結局お母さんはプリプリして帰っていく。そんな性格だと思う。
仕事を休み移民署へ行く。居留証を更新する為だ。
女に何度か必要な書類を確かめる為に電話をさせたが誰も出なかった。何度かけても忙しいので回線がパンク中とメッセージが流れるだけ。
公式サイトを見ると必要なのは、過去の居留証とパスポートと関係書類と記載があるが、関係書類がなんであるかは全く何も記載がされていない。
これを書いた奴を殺してやりたいくらい頭にくるが、しょうがない。これが台湾のお役所仕事だ。もう慣れた。
女が私の身分証を持っていけば大丈夫だというので、二度手間もしょうがないと諦めぎめに移民署にむかった。なにせここは台湾なんでね。
クソ不便なところにある新北市の移民署に行き、30分ほど待たされて、申請書とパスポートと居留証のカードを係官にだす。
係官は当たり前のように「女房の身分証は?」
身分証をだすとコピーしてこいと言われ、コピーしに行く。サイトにコピーをもってこいと書いておけばこの時間は省けるんだが。
コピーを渡すと、延長期間を1年か2年か3年か選べと言わる。1年につき1000元かかる。
来月かそこらには日本に帰る予定だが、この居留証というのは役に立つ。
台湾に入国する時に、税関で観光客と並ばなくても良いので、すぐに入国できるし、ずっと台湾にいれるのはやはり都合が良い。それに3年後にもう一度申請したら、次の申請は不要のはずだ。
それに申請にはひどく手間がかかる。私は少しだけ迷って3年と答えた。