2014年10月19日日曜日

歯医者

 二回目の歯医者。母親に歯医者にラオポーの状況を伝えてもらう。
 ラオポーの話によると、医者はブツブツ、知らない、とか分からないと言いながら治療をしていたらしい。医者が怒っていたのでかなり雑に治療されたと、ラオポーは怒ってる。
 面倒くさい。

歯医者

 家に帰ってくるとラオポーが母と歯医者に行ってきたと報告。週明けにいくと行っていたので、土日に母親にラオポーの歯の状態を詳しく教えておくつもりだったのだが、行ってしまったらしい。
 ラオポーの話を聞くと案の定、問題発生だ。
 ラオポーは台湾で歯の神経を抜いた。その後、まだ処置が残っていたのだが、ラオポーは歯医者が怖くなり、行くのをやめてしまい、治療が途中で止まってしまった。
 日本に来る直前、それを思い出し、続きの治療にいったのだが、医者のスケジュールがいっぱいで治療してもらえなかった。ずっと処置をしなかったので細菌がたまっているから日本に行って、根管治療をするようにと台湾の医者から言われていた。
 今回、それを伝えきれず、医者はレントゲンを撮って問題ないから、このまま塞ぐことになったらしい。
 週明けに行く予定をなぜ、急に変えたのかと、ラオポーと喧嘩になる。くだらない事だが、なんだかんだと大喧嘩に発展、酷く疲れた。
 とりあえず、次行く時に母親にまた最近の事と治療の途中であることをキッチリ伝えてもらうことになった。

ビザ取得

 入国管理局へはラオポーと母親だけで行った。私はバイトへ。
 ラオポーは4000円の収入印紙と引き換えに、一年間のビザを手に入れた。その後は区役所に行って、やっと転入届をだせた。これで健康保険にも入れた。
 あとはラオポーを歯医者に連れて行けば、当面の目の前にあった問題は大体片がつく。だいたいね。

入国管理局

 家に帰ってくると、ラオポーが見せたいものがると私をすぐに部屋に来るように言い、二階の部屋に上がっていった。
 クソッタレ!!名刺は全部、道端に捨てたのに、死ぬほど酔っぱらっていたから、一枚か二枚かばんに残ってたのかもしれない。だが、とくにメッセージが書いたのとか無かったからなんとで誤魔化せるだろうと部屋に入った。
 ラオポーは一枚のハガキを私に見せた。入国管理局からのハガキだ。このハガキが来たということはビザの許可が降りたということだ。あとは期日以内にこのハガキを持っていれば、いいだけだ。
 やっと一段落だ。一段落だけだが。

付箋紙

 うちの母は時折、すごくマメになる。
 シンガポールの留学生のジャンにラオポーがどう日本語を勉強したらいいか聞いている。新しい教科書を見せてどうのこうのいっている。知らない単語が多くて授業についていけないと言っている。解決策はただひとつ、単語を覚えるしかない。言語を学ぶときは、初期の段階はひたすら地味な努力が必要だ。
 ラオポーは基本的に勉強嫌い。なので、ギャーギャー言っている。
 それを聞いていた母が、とりあえず身の回りの物からと、家にあるものに片っ端から付箋紙にひらがなと漢字とカタカナを書いて貼りまくった。ここまでさせたのだから覚えなければならないのだが。
 それから二週間ほどたったがおぼえているのかどうか。

お麩

 味噌汁にお麩が入っていた。母がシンガポール人の留学生のジャンにお麩はシンガポールにもあるかと聞いた。
 ジャンはかなりの世間知らずだ。こと食い物に関してまともな回答を聞いたことがない。中華圏のヤングオタクはこんなものなのかもしれないが。
 お麩に関しても、見たこともないという回答。するとラオポーがすかさずこれは、フランス料理のスープとかにはいってる、フランパンの小さいやつだと解説。

2014年10月13日月曜日

餅投げ

 近所の神社で餅投げのイベントがあった。台風なのに。
 母はラオポーに色々と日本の事を経験させてやりたいので連れて行く。私は台風なので行きたくなかったが、行く羽目に。
 雨は降ったり、やんだりだがラオポーには、私が仕事で使っているカッパを着せてやる。ラオポーは恥ずかしがっていたが、脱ぐつもりはないようだ。そして私の斜めがけのボディーバッグを身体の前にかけた。やる気満々だ。(見ず知らずのおばさんにこのアイディアは褒められたらしい)
 台風だが神社には100人以上の人間が集まっていた。だが台風の影響で人はいつもの半分くらいだ。私はガキの頃から人の浅ましさを垣間見るこのイベントは嫌いで、始まると冷めてしまい、だいたい何も取らずに帰ってしまう。今回も荷物持ち係と撮影係だ。
 糞だるいしまらない神主の挨拶のあと(怪我しても責任は一切取らないという宣言)、餅投げが始まった。餅に群がる人々、雨、太鼓の音。混乱。
 遠くからオレンジのカッパのラオポーが翻弄されているのがわかる。五分かそこらで終わった。
 ラオポーは七個ほど餅を拾えたらしい。だが日本人の意外な攻撃性にビビっている。まさか見かけ温厚なおばさんが餅ごときにあんな暴力性を発揮するとは思っていなかったらしい。
 また一人一際クレイジーなおばさんが近くにいたようだ。普通サイズの餅に混じってたまにビッグサイズの餅が投下される。このビックサイズの争奪戦はかなり危険だ。
ラオポーの近くにもビッグサイズが降ってきた。周りの連中は一気に群がる。その餅にクレイジーおばさんが突撃、餅の上に覆いかぶさり、これは私のだー!と叫んだ。これには周囲の人間もドン引き。ラオポーは心底ビビったらしい。

2014年10月8日水曜日

 バイトから帰ってくると7時。ラオポーが日本語教室から帰ってきてない。8時になっても帰ってきてない。いつもなら夕方には帰って来てる。携帯電話は忘れていっている。
 流石に心配して待っていると、ラオポーが息を弾ませて帰ってきた。
 日本語教室で新しく知り合った中国人の女の子が、日本に来たばかりで授業後、質問攻めにされ遅くなったということだった。路上で3時間話していたらしい。
 私はこれだけ遅くなるなら電話しろ、携帯電話がないなら公衆電話を使え、家の電話番号くらいは覚えるか手帳にメモるかしておけと説教。
 ラオポーはグダグダ言い訳していたが、渋々わかったと謝った。
 

また、入国管理局

 残り二ヶ月。ラオポーが日本に滞在できる期間だ。仕事もすぐに見つかりそうにないので、バイト先の会社に在職証明書をもらえないか聞いたらすぐにくれた。
 これに両親の年金の金額をつけて再申請することにした。ラオポーを最低限、養っていくには十分な証明だろう。たぶん。
 バイトを休み、ラオポーと一緒に入国管理局へ。30分位ならび、再申請。2週間から一ヶ月で審査が終わる。