2016年4月29日金曜日

出産

 その時が近づいているのはわかっていた。今日か、明日か、分からないがとにかく近い。
 朝四時、出勤一時間前。起きるのは三十分後だ。ラオポーに起こされた。
 時折、痛みがあり、夜中から寝ていないという。出血も二度ほどあった。定期的な痛みは陣痛だ。大体30分くらいの感覚だ。
 陣痛がきてもすぐには産まれない。何時間後かは分からないがすぐには産まれない。そこで午前中だけ仕事に行くかどうか、迷った。しかし痛みの感覚が15分位に縮まってきている。私は会社に電話し出産のため休むことを告げた。そして下の階で出ている母親に状況を知らせる。
 私は病院に連絡し、陣痛が来たかもしれないと言った。看護師は私から詳しい状況を聞き取るとこう言った。恐らく陣痛で昼ぐらいまでには病院に来ることになる。痛みの感覚が7分位になったら病院に、入院の準備をしてくるように。
 私はすぐに入院の準備を始めた。その合間にラオポーに痛みが来ると、足の陣痛を抑えるツボを押したり、腰をマッサージしたりした。
 痛みの程度は生理くらいだという、と言われても私にはピンと来ない。痛みが来るとラオポーは顔を歪ます程度なので、まだ本格的な痛みは来ていないのだろうと思った。
 私が部屋の中をウロウロしていると、逆にこっちが緊張するからやめて言われ、たしかにそのとおりだと思い、準備を済ませるとNexus7に蒼天航路を放り込んで読んでいた。
 11時位になったが、痛みの感覚は7分にはならない。10分きったと思うと、次が15分後とかでなかなか進まない。
 ここでラオポーの要求があり、再び病院に電話。すると病院に来ていいというので病院に行くことにする。
 しかしその前にラオポーがどうしてもハンバーガーが食べたいというので、母親にモスバーガーにいってもらっていた。それを待ち、腹ごしらえをしてから病院行くと大体12時を回っていた。(こうして改めて書いていると図分とのんきなものだと思う)
 病院に行くとすぐに診察してもらう。医者は陣痛で間違いないと言った。
入り口は3センチくらい開いている。しかし陣痛が弱すぎる、この調子だと恐らく明日までこの状態が続くので、陣痛促進剤を使えば今日の夕方には産まれる、そのほうが本人のためにもなるという。もうすでに8時間は経過しているので私も同意し、ラオポーに状況を通訳した。
 すぐに分娩室に入ると、陣痛促進剤の点滴が始まった。助産婦さんが二時間位で効いていくる言った。隣の分娩室でも先客がいるようで助産婦さんは忙しそうだ、とりあえず最初は30分に一回様子を見に来るという。
 分娩室は真ん中のベッド以外はまるで分娩室には見えない、テレビやソファーもあり、個室の病室と言った感じだ。
 この時のラオポーはiPadで病室の写真を撮ったり、LINEで友達とチャットしたりして余裕だった。
 2時間ほど経過し、陣痛促進剤が効いてきたらしく痛みも激しくなってきた。私はずっと腰をもんだり、陣痛を抑えるツボを押したりしていた。
 助産婦さんがやって来て入り口を診察すると7センチほど開いているという。助産婦さんはそろそろいきみましょうといった。
 要は痛みが来たら踏ん張るわけだ。痛みが来たら息を吸って吐出さないように力を入れる、痛みが去る前に二回それをやるようにと言った。私は通訳するとラオポーはこの時には、ほとんどしゃべれない。わかったというだけだ。
 さらに一時間ほど経つと入り口は10センチになった、全開だ。
そこでやっと私はわかったのだがラオポーは微弱陣痛という症状であり、それは陣痛が弱すぎてなかなか産まれないような状況であるということだ。
 ラオポーは確かに非常に陣痛で苦しそうだが、よく出産の体験談で聞くような大声を張り上げるというようなことはない。いきむときにせいぜい少しあえぐような声が出るだけだ。
 それからさらに一時間、時計は午後四時を回っている。髪の毛がもう見える、もうひと踏ん張りという段階まで来て、小一時間は経過した。
 私は隣で通訳をしながらラオポーを励ますだけだ。必ずできる頑張れと。(あと与えられた役割は助産婦さんに指示されたらナースコールを押すということだけだった)
 助産婦さんは全開になってから一時間が経過したので、吸引器を使うことにするといった。だがあと5回がんばろうと言う。私は息も絶え絶えのラオポーにそれを通訳しとにかく頑張れと言った。
 だが、あと一息が踏ん張れない。ラオポーはもう力がでないと弱々しくいうだけだ。医者がやって来て吸引器という掃除機みたいなやつで吸い出すことになった。
 私はスマホで写真と動画をとる準備をした。これは逃せない。
だが、出てこない。やはり吸引器を使うと言っても、最後には母親のいきむ力が必要なのだ。医者が怒鳴るようにそう言って叱咤激励した。私はその語気のつよさに戸惑ったが、最後の最後の力をだすには理にはかなっている。
 私はふと大昔にお産で大勢が死んだことが、納得できた。このまま産まれる事ができなかったら
死ぬしかないだろう。それに陣痛の痛みの激しさの意味も理解できたような気がした。この痛みを逃れるためには何でもするというような痛みでなければ、出産を成し遂げられないんだろう。陣痛の激しさも必要不可欠なものだったんだ。だが、ラオポーはそれをなしにやり遂げなければならない。
 私はラオポーに言った。お前が頑張れなければ赤ちゃんは出てこれない、次で必ず生むんだ、必ず出来る必ず出来る。
 ラオポーは渾身の力で必死でいきんだ。
 医者が吸引器で、私の息子をこの世に引きずりだそうとしている。頭が出てきた瞬間、医者は力を抜けと言った。頭の形がすこしゆがんで、灰色の身体が少し見える。私はラオポーに力を抜けといった。だがいきなり全身の力を抜くなんて無理だ。硬直しているラオポーに息を吐けと言った。息を吐くと力が少し抜けて、息子この世に出てきた。
 ベッドの柵を握っていたラオポーの手はまだ硬直している。やっとのことでラオポーは指の力を抜いた。
 そしてやっとラオポーは息子をその手に抱くことができた。4月18日16時18分だった。

2016年4月17日日曜日

 ラオポーの優雅な生活も、最近はもう優雅さとはかけ離れている。原因はもちろん大きな腹だ。既に予定日を五日過ぎているので、相当な大きさだ。
 もともとラオポーは、台湾で産む予定だった。が、今現在私と一緒に日本にいる。日本で産むことにしたのだ。
 出産にどうしても私が立ち会いたいのが理由だ。二人でかなりの時間をかけ話し合ったが、結局こうなった。
 ラオポーとしては言葉が不自由な日本で産むのはやはり不安がある。しかしなにも洞穴、ジャングルの奥地、北朝鮮の政治犯収容所で、子供を産めと言っているわけじゃない。
日本のちゃんとした病院なのだ。21世紀の今日これは大した、話じゃない。
 今日の朝、ラオポーは出血した。夜には時折、お腹に痛みを感じている。どうやらその時が近いようだ。